2009年12月12日

チケットの追憶 Vol.2

写真は1985年、12/3のヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのコンサートチケット。
S席で4,500円。でも場所は武道館の2階。ブライアン・アダムスの時より600円高
いのに、ステージから遠い2階。
このチケットもブライアン・アダムス同様『チケットぴあ』の特電予約で取ったも
のだ。この時は電話がつながるまで、30分ぐらいかかってしまったせいか、取れた
チケットはS席なのに2階席になってしまった。

ヒューイ・ルイスは当時『Sports』というアルバムが売れていて、さらに映画
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主題歌になった"Power Of Love"が全米1位
のヒットになった後だった。
ヒューイ・ルイスのロックンロールはR&B色が強く、50&60年代のR&Bのコーラス
グループのようなハーモニーが大きな特徴の1つだった。そしてライブでは必ずアカ
ペラで"It's All Right"や"So Match In Love"をやることを知っていて、これを見るの
が愉しみだった。これはライブでしか聞けない。

この時取ったチケットは2枚。一緒に行ったのはテニス部の先輩だった。
12/3の当日、これもまた前回同様6時限目の授業を早退して、駅で先輩と待ち合わせ
て武道館に向かった。武道館に着き、中に入って2階席の場所に行くと、そこから見
えるステージはブライアン・アダムスの時とは違って、遥か遠く小さかった。

8512_HLewis.jpg

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posted by 浅谷龍彦 at 02:55| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 随筆(ロック) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月01日

チケットの追憶 Vol.1

写真は1985年、ブライアン・アダムスのコンサートのチケット。
武道館アリーナで3,900円という今では考えられない値段。
このコンサートは自分が最初に見に行ったコンサートで、当時高校2年、17歳にな
る直前の事だった。

もうだいぶ記憶がはっきりしなくなってきたが、このチケットは『チケットぴあ』
の特電予約で取ったものだ。ぴあの特電は土曜AM10:00からの予約開始で、当時
千葉の田舎の高校に通っていた俺は、たぶん授業の休み時間だったんだと思うが、
学校のすぐ下にあるパン屋(通称、下店)にある公衆電話に行き、そこから電話し
て予約をした。

チケットを予約するのはこれが初めてで、良くシステムも理解していなかったが、
とりあえず俺は、10時きっかりにかかるように電話のプッシュボタンを押した。
すると呼び出し音も鳴らずにいきなり電話が通じた。そんないきなり『チケット
ぴあ』に繋がるなんて思っていない俺は、どこかに間違って通じたと思ってとっさ
に電話を切ってしまった。ところが切るまでの一瞬、電話の向こうからは「はい、
チケットぴ」ぐらいまで女性の声が聞こえたのだ。
切った後に『チケットぴあ』に繋がった事がわかった俺は後悔したが、すぐにまた
電話をかけ直した。するとまた1、2分して電話が繋がった。今度は少し落ち着い
て電話の向こうの声を聞いて、『チケットぴあ』なのを確認、その後オペレーター
とやりとりして4人分のチケットを取った。

取れた後はたぶん、初のコンサートに興奮してたんだとは思うが、今はもうその感
触は記憶の中に残っていない。(笑
またその後実際にどうやってチケットを買ったのかも記憶にない。チケットにも
「チケットぴあ予約センター」としかないので、銀行振り込み→チケット郵送だっ
たのか? じぇんじぇん記憶なし!

8510_BAdams.jpg

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posted by 浅谷龍彦 at 01:25| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 随筆(ロック) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月11日

Overseas Blues

Overseas Blues
Memphis Willie B (1945)

『The Poetry of THE BLUES』(中央アート出版社)という本で読んで
好きになった歌がある。"Overseas Blues"。
作者はメンフィス・ウィリー・Bという人で、この本によるとメンフィス・
ウィリー・Bは、1942年1月に徴兵されてからずっとヨーロッパ戦線に従
軍していたが、1945年4月にドイツが降伏した後、今度は日本に送られる
可能性が出て来て、嫌になったメンフィス・ウィリー・Bが
この"Overseas Blues"を作ったということらしい。
歌は5番まであるが、ここでは2番まで紹介する。

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ラベル:Blues 自由
posted by 浅谷龍彦 at 21:09| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 随筆(ロック) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月30日

カート・コバーンとジェームズ・コバーン(延後)

今俺が知っている範囲で、カートと近い所にいるのはやはりニール・ヤングのように
見え、その痛々しさを感じさせる曲調は共通しているように感じる。
ミック・ジャガーはあるインタビューでニルバーナについてこうコメントしている。
「最近流行ってるものはあんまり好きじゃない。ニルバーナにも夢中になれなかっ
 たな−俺にはあまりにも苦悩に満ち過ぎててね。(中略)確かにそれって、曲に
 するには最高にいい素材の一つではあるんだけど、俺は気難しいのは好みじゃな
 いんでね」
ストーンズ好きの俺にも同じ感覚があって、好きではあるが、ずっとニルバーナを
聞くことはできない。ニールヤングもまた同じような存在で、好きではあるが、
聞き続けるのは難しい。(ジョン・レノンのファースト・アルバムもつらい)

ちなみにニール・ヤングを意識するようになったのはFMで"Hey Hey, My My"を
聞いてからである。これも即座に名曲だと思った。そしてそれ以外の曲は。。。
そう!
俺はニール・ヤングとニルバーナにまったく同じようなリアクションをとっていた。
そしてニルバーナに慣れた後の今になって、やっとニール・ヤングが聞けている。

最後にカート・コバーンの英語の綴りは"Kurt Cobain"でジェームズ・コバーンの
綴りは"James Coburn"。"Cobain"と"Coburn"。"ai"と"ur"。コベインとコバーン。
どうやらカートはコベインが正解のようで、最近は"コベイン"に修正してるところも
あるようだ。

ただこれがいいたいだけで、4回も長々と書いてしまった。
"Cobain"と"Coburn"。(笑)
posted by 浅谷龍彦 at 02:23| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 随筆(ロック) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月23日

カート・コバーンとジェームズ・コバーン(延前)

『MTV Unplugged ...』の2曲のカバー。
デビッド・ボウイの"The Man Who Sold the World"とレッドベリーの
"Where Did You Sleep Last Night"。
デビッド・ボウイの方は聞いてるはずだったが、まったく印象に残ってなかった。
ニルバーナによってこの曲の良さが初めてわかった気がする。カバーがオリジナル
を超えたいい例だと思う。ニルバーナのバージョンを聞いた後にもう一度オリジナ
ルを聞いてみたがやはりぱっとしなかった。

もう1曲、レッドベリーの方は当時出ていた唯一の国内盤を買ったりして何曲か聞
いていたが、この曲は入っていなかった。後から聞いてみたが、こちらはオリジナ
ルも良かった。もしニルバーナ以前に聞いていたとしても好きになってただろうと
思う。
それから1988年にディラン、U2、ブライアン・ウィルソンなどが参加したレッド
ベリーとウディ・ガスリーのトリビュート『FOLKWAYS』という企画盤があり、
その中で1番好きだったのが、ブライアン・ウィルソンがやったレッドベリーの
"Good Night Irene"だった。
というわけで、レッドベリーは以前から気になる存在だったのだが、まさか
ニルバーナ(カート)にその良さを知らされるとは思ってもみなかった。
posted by 浅谷龍彦 at 02:26| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 随筆(ロック) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月20日

カート・コバーンとジェームズ・コバーン(後)

90年代、コンスタントに聞いていたのは坂本龍一とU2ぐらいで、あとはひたすら
時代をさかのぼり、70年代、60年代、50年代→20年代。R&B、カントリー、
フォーク、ブルーズ、ジャズ(少しだけ)へと沈んで行った。
U2を除いて90年代にいいと思った曲は、ロックではニルバーナの"Smells ..."と
プライマル・スクリーム(この名前もいまいち)の"Rocks"だけだったといっても
いい。あとはみんな古い曲ばかり。

それで3,4年前だと思うが、たまたま暇つぶしに奥さんとカラオケに行った時、
何曲か歌って(ほとんど洋楽)、歌いたい曲がなくなった時に"Smells ..."を
見つけた。なんとなく歌えそうな気がしたんで試しに歌ってみると、まあそこ
そこ歌えた。それを見ていた奥さんも"Smells ..."の事が前から気になってた
らしく、「その曲だれのだっけ?」などと反応してきた。その後自分でも歌い
たくなったようで、歌詞をネットで探したりし始めた。
そしてそして...
しばらくすると「このボーカル可愛くない?カートって顔整ってるでしょ!」と
いいながら画像を集めてプリントアウトしだし、そこからどんどん加速、ニルバーナ
情報をかき集め始めた。それで正式リリースだけでなくブートもいくつか買い、
特集してる音楽雑誌も買い、できたネッ友とのオフ会に参加するようになり、
すっかりニルバーナにはまってしまった。ちょうどベストアルバムが出た頃だ。
家では一日中ニルバーナが鳴っていた。
(ちなみに以前はデビッド・ボウイ ファン)
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posted by 浅谷龍彦 at 00:15| 千葉 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 随筆(ロック) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月12日

カート・コバーンとジェームズ・コバーン(前)

どっちを先に知ったかといえば、もちろんジェームズ・コバーン。
どんな映画だったかは覚えてないが、TV放映で見て印象に残っていた。
何度か脇役で出てるのを見て記憶したんだと思う。
チャールズ・ブロンソンとかなりカブるが、更に飄々として間の抜けた
愛嬌のある格好良さを持っていた。
出演映画ではっきり覚えてるのは『大脱走』で、チャールズ・ブロンソン
も出ているが、最後まで逃げ切ったのはジェームズだけだったと思う。
(いつからか俺には、印象に残った脇役の顔を覚えておく癖ができた。
 印象に残るような俳優はまたどこかに必ず出てくるからだ。)

カートを知ったのはここ数年だ。もちろんニルバーナは知っていた。
正確にいうとニルバーナの"Smells Like Teen Spirit"だけは好きだった。
FMかPVかどっちが最初か忘れてしまったが、どちらにしてもそのイントロ
のギターリフを聞いた時から意識が反応した。すぐにこれは名曲だ思った
のを覚えている。
しかし同時にいろいろと抵抗感もあった。まずバンド名のニルバーナが
気に入らなかった。いかにもニューウェーブぽい名前で、さらに俺らの
世代で「涅槃」といったら、沖雅也の遺言『おやじ、涅槃で待つ』しか
思い出さない。おまけにアルバムジャケットは「ドル札に向かって泳ぐ
赤ん坊」っていうこれまたいかにも反商業主義でございますというよう
なもの。当然CDは買わなかった。
その後レンタル屋にCDを探しに行ったら『NEVERMIND』と『BLEACH』が
置いてあったが、『BLEACH』のジャケットを見てまた退いた。
黒く、ロン毛が髪を振り乱して演奏してるジャケット。。。メタルだ。
メタルはまったく聞かないのでためらったが、"Smells ..."みたいな
曲が他にもあるかもしれないと思い、とりあえず両方借りた。
しかし聞いてみると予想通り"Smells ..."に匹敵する曲は他になく、
"Ccme as you are"や"In bloom"も悪くはないが、いまいちだった。
『BLEACH』も含めてインパクトがあるのはメタル系の轟音で、それは
俺の守備範囲外にあるため、当時は"Smells ..."だけ聞いとけばいいやと
思ってそれ以上は聞かなかった。と同時に"長生きしねえな"とも思った。
なにか破滅型の雰囲気が漂っていた。まさか自殺するとは思わなかったが、
ドラッグ絡みか事故かで死ぬんじゃないかと思っていた。
posted by 浅谷龍彦 at 01:04| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 随筆(ロック) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月22日

Imagine

John Lennon (from album 'Imagine', 1971)

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
No greed or hunger and no religion too

Imagine all the people
Living life in peace

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one

今やジョン・レノンの作った曲でもっとも有名になった曲、"Imagine"。
確かに歌詞の内容は理想主義的なものだが、けっして説教臭いものではない。
そして理想主義的な運動家の多くが今も昔も急進的なために(結果を急
ぎ過ぎて)批判している対象と同様の暴力を内包してしまうことになるが、
そのことにレノンはビートルズ時代から敏感だった。
1968年に"Revolution"という曲の中でレノンは
「革命を起こしたいんだって?それは確かに。
誰もが世界が変わる事を望んでいる。だけど暴力を口にするのなら、
俺を仲間から外してくれ。」と歌っている。

ちなみに、どこまで本気か分からないがローリング・ストーンズの
ミック・ジャガーも、同じ68年に"Street Fighting Man"という曲で
「貧乏なガキが、R&Rバンドで歌う以外に何ができる?
寝ぼけたロンドンの街に、暴徒のための場所なんてないぜ。」と
言い放っている。ローリング・ストーンズの一番の良さが、
この不真面目さなのは間違いない。真面目さも度を超すと硬直的な原理主義
へと変化する。彼らはまるで”ナンパするために平和集会に参加する男達”
の見本のようなものだ。

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posted by 浅谷龍彦 at 03:31| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 随筆(ロック) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月07日

眠れぬ夜

眠れぬ夜
Off Course (from album 'ワインの匂い', 1975)

たとえ君が目の前で
ひざまづいてすべてを
忘れてほしいと涙流しても
僕は君の所へ二度とは帰らない
あれが愛の日々ならもういらない
愛に縛られて動けなくなる
何気ない言葉は傷つけてゆく
愛のない毎日は自由な毎日
だれも僕を責めたりできはしないさ

「恋愛の自由」という言葉と「自由な恋愛」という言葉がある。
どちらも同じようなことをいっているようだが、よく考えると
この2つの言葉は全く違う。「恋愛の自由」とは、いろいろな
条件に関係なく誰かと誰かが愛し合えることだが、「自由な恋愛」
とは、1つの愛にとらわれずに愛し合う相手を代えていけることである。
つまり「恋愛の自由」は愛し合う自由を、「自由な恋愛」は別れる自由を
意味してる。しかし恋愛自体に自由があるわけではない、愛し合うという
ことはお互いの自由を捨ててお互いに相手を拘束し、触れ合う中で幸せを
得ることなのだから。
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posted by 浅谷龍彦 at 22:59| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 随筆(ロック) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月12日

Love Is The Drug

Love Is The Drug
Roxy Music (from album 'SIREN', 1975)

Oh oh catch that buzz.
Love is the drug I'm thinking of.
Oh oh can't you see.
Love is the drug for me.

ブライアン・フェリーはサビで歌う。
「この快感。愛はまさしくドラッグだ。判るだろ?愛は俺のドラッグだ。」
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posted by 浅谷龍彦 at 03:56| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 随筆(ロック) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月19日

Walk On The Wild Side

Walk On The Wild Side
Lou Reed (from album 'Transformer', 1972)

Holly came from Miami F.L.A.
hitch-hiked her way across the U.S.A.
Plucked her eyebrows on the way
shaved her leg and then he was a she
She says, hey babe, take a walk on the wild side
said, hey honey, take a walk on the wild side

この曲は、16才の時に聞いて以来ずっと好きな曲で、
何度聞いても飽きることのない曲の1つ、そして歌詞がおもしろい。
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posted by 浅谷龍彦 at 22:08| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 随筆(ロック) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする