2014年09月03日

乳癌について Vol.20

乳癌の治療を始めてもう7年になるのか?
今回初めて、妻が乳癌の事で思う事を書いてくれたので、以下に載せます。
--------------------
『乳がんの早期発見のために』
主人が自分のブログに、私の乳がんの経過について載せたいと言ってきた時、 迷わず「いいよ。」と言ってはみたものの、私が載せて欲しくない事まで 載せられてしまい、その箇所は削除してもらったのが第一回目の記事でした。 それからは、掲載する前に私が目を通すという約束をしました。
その事を改めて振り返り、乳がんの早期発見のためには、欠かせない事実であると いう思いになり、再度、消してしまった事実を復活させる事にしました。

私が乳がんの温存手術をしてから7年目になりました。 良性のしこりはあるものの安定してるという事で、担当医は4月から消化器専門の医師に変わりました。医師が不足しているのだろうと思います。 今は、半年ごとに交互に大きい検査と小さい検査を繰り返しています。

主人の会社の福利厚生で、半日の人間ドッグを毎年受けるようになって数年後、 乳房の触診で「小さなしこりがあるけれども、たぶん乳腺症でしょう。」 そう医師が言いました。 私は家で「乳腺症」を検索はしましたが「乳がん」は検索しませんでした。 頭の隅に「乳がん」という言葉は浮かびましたが、深刻には考えていなかったのです。

あとその時期、原因ははっきりしませんでしたが、体調が悪く外出もままならない 状態でした。自力で病院に行ける状態ではなかったのです。 「たられば」は嫌いですが、主人に病院に付き添ってもらう事も考えていませんでした。 自力で行くべきだと、なぜかそう思ってしまいました。

そうこうしてるうちに、次の年の人間ドッグでは医師からはっきりと 「病院に行ってください」と告げられました。 病院へ行き、検査結果の告知で「乳がん」と知った時 面倒なことになったなというのが、その時の私の心境です。
ステージU、中期まで進んでいたので、病巣は楕円の長いほうで3.3cm、後1cmの病巣も取り、脇の下のリンパ節まで取りました。

ここで再度、私が言いたいと思った点は何かと言うと、 まず、乳腺症と言われた時点で、自力で行けなければ誰かを頼ってでも 病院へ行くべきだったと。 それができなかった自分を少し責めて、恥だと思い続けていました。 だから、主人のブログにこの事実を書かれた時、恥ずかしいから隠したかったのです。

しかし、今、私の大切な人が病床に居るという現実を受けて 隠してしまった、この点こそが、ブログに載せるべきものだったと考えが変化しました。
「乳腺症と言われても、乳がんの可能性があります。再度、検査をする事をお勧めします。」

大切な人のため、そして多くの色々な病気を患っている方々のために 疑いがある時点で勇気を出して病院に行って欲しい。 これが、私が多くの人達に伝えたいことです。

拙い文章、長文を最後まで読んでくださってありがとうございます。
ラベル:乳がん
posted by 浅谷龍彦 at 00:08| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月13日

ワールドカップ その3

また4年に1回のW杯が始まる。
最近は前ほどフットボールを見ていないが、この4年間で世界のフットボールの状況に何か大きな変化はあったのだろうか?

ヨーロッパではスペインがずっと強さを維持し、前回W杯の後もヨーロッパ選手権を連覇して、その強さのまま今大会に臨んでいる。その他の強豪国もいつものオランダ、ドイツ、イタリア、フランス。南米の方ではアルゼンチンが相変わらずメッシ中心。ウルグアイもフォルラン、スアレス。

一番変化したのは開催国のブラジルだろう。今回のブラジル代表はほとんどの選手が初出場だ。ネイマールは前回大会以降に現れた唯一のスーパースターではないだろうか?

日本代表は順調に強化出来ている。
代表選手の最後のピースを大久保にしたのはザッケローニの正しい選択だったと思う。大久保は本田と並ぶ「個人」。エゴイストでタレントだ。前回大会でも一番アグレッシブにゴールを狙っていたのではなかったか?

日本にとっては初戦が全てだ。
決勝戦よりも初戦の方が大事だ(笑)。
日本はまだ強豪国のように、予選中にコンディションを上げて決勝トーナメントにピークを持って行くような余裕はない。初戦を決勝戦だと思って戦う事が決勝トーナメントへの絶対条件だ。負けない事。

日本以外では、そろそろメッシとアルゼンチンに活躍してもらいたい。南米の大会だし、開催国のようなプレッシャーもないし。

さあ、どんな大会になるかな?
まずデモとストライキが話題だが。。。
posted by 浅谷龍彦 at 00:06| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月02日

乳癌について Vol.19

去年の8月に受けるはずだった超音波の検査は担当
医の手違いで10月になった。
だが、1cmぐらいの陰に変化はなく問題なし。
次の定期検査は4月になった。

それから担当医からまた担当医の変更を告げられた。
どうも、この担当医は他院に異動するらしい。
4月の定期検査は新しい担当医が行うという話だ。
そして新しい担当医は専門が乳腺ではなく
消化器だという事だった。

消化器系が専門という事で、少し不安を口にしてみ
たが、安定している患者さんなので心配はないと
まあ予想通りの回答だった。
これで4人目の担当医だ。

やはり1年半か2年で代わって行く。
まあ検査自体は放射線など別の専門家が
やる訳で影響はないし、何か異常があれば
乳腺の専門医を交えて分析、判断するのだろう。

そして4月になり新しい担当医での定期検査となった。
今回も胸の超音波、骨シンチ、マンモグラフィー、
血液、CT、肝臓の超音波などの検査を行った。
超音波検査で映る1cmぐらいの陰は今回も変化なし。
問題はなかった。

新しい担当医は、30代前半と思われる男性で
こちらからの質問にも割とはっきりと回答し
てくれて、印象は悪くなかった。
これからも年1回の定期検査と
半年ごとの胸の超音波検査を続けて行く。

今回も骨シンチで投与したテクネチウムだが
検査後約10時間で31μSv/hを計測した。
ラベル:乳がん
posted by 浅谷龍彦 at 23:33| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月30日

3.11 その8

*この記事は東日本大震災当時の様子を書いた
 一連の記事の続きです。

さて、まだ俺にはやるべき事がある。それは動かなく
なったiPhoneを直す事だ。女性を送った帰り、通り道
にあったソフバンショップへと乗り込んだ。

店内に入ると一つ席が空いているのが見えたので、
そこに一直線に向かい、座るなり、こう言った。
「iPhone動かねえんだよ、この大変な時に!」
するとちょっと自信ありげな若めの男性店員が冷静に
「iPhone見せていただけますか?」
俺は「見ても動かねえもんは動かねえんだよ」と言い
つつ店員にiPhoneを渡した。
すると店員はiPhoneのボタンをいくつか押した。
するとiPhoneの液晶にリンゴマークが出て来た!

あれ?
なにしたの?

店員がいじくるとさっさとiPhoneは再起動して立ち上
がってしまった。

「なんだよそれ?なにした?」と動揺を隠しつつ店員
に聞いた。店員曰く「公開はしてませんが、ホームボ
タンを押しつつ電源ボタンを長押しすると強制再起動
になるんです」

え?
そうなの?

最初の勢いを失った俺は軽く礼を言った後
「その方法はマニュアルにあんの?」
と聞くと店員が
「いえ、マニュアルには載ってません」
と答えたので
「マニュアルに載せとけよ!」
と力なく捨て台詞を吐いて店を出た。

iPhoneも直り、いくつかの安否確認メールが届いて
た事を知り、返信するとともに、また他に気になる人
にメールを送って安否を確認した。

それから、翌日のバンド練習のために予約していた
リハーサルスタジオに、予約キャンセルの電話をし
た。
するとスタジオの店長も「PCひっくり返ったり、スタ
ジオの中も大変なんで、今日明日休みますんで
キャンセル料とか発生しませんので、大丈夫です」
との事で、無事キャンセルできた。

やる事を終え、もう一度自宅に帰った。11時前だった
と思う。家にはほとんど地震の影響はなかった。
食器やテレビも壊れず、多少のものが落ちた程度
だった。着替えた後、奥さんの地震時の状況を聞い
たり、こちらの経過を伝えたりして、軽く食事をし
た。

やっとテレビ見て、津波の被害など震災全体の状況を
知り始めた。と同時に福島の原発が危機的な状況だ
という事もわかって来た。そして午後、福島第一原子
力発電所の一号機でなにか爆発する映像が映し出
された。

この時、震災は原発事故災害へと変わった。
posted by 浅谷龍彦 at 16:29| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月16日

3.11 その7

*この記事は東日本大震災当時の様子を書いた
 一連の記事の続きです。

江戸川を渡り千葉に入ると風景は田舎に一変(笑)!
山や畑が見え出し、時々見える人影や走る車の様子もどこか
のどかで、昨日の震災はなかったかのようだった。
程なくして電車は東武野田線との乗り換え駅に着き、降りた。
野田線の状況はわからない。だがもう電車が走ってなければ
タクシーを拾って帰れるだろう。最悪奥さんに迎えに来てもら
う事も出来る所まで戻って来た。

普段は料金の高い北総線の改札を振り替え乗車という事で素通
りし、野田線のホームへと入った。野田線のホームでも電車を
待つ人達がそこそこいて、電車が動いている気配を感じられた。
ホームのアナウンスでも少ししたら電車が来そうだ。
女性と二人、ホームで野田線が来るのを待った。日差しが少し
暖かった。

野田線の柏方面行きの電車も10分前後でやって来た。
順調、順調!
やって来た電車はさほど混んでおらず、しばらくして座席に
座る事ができた。やっと一息つけた。

電車は普段と同じ感じで走って行く。
そしてとうとう降りるべき駅へと辿り着いた!
ぱっと見、何事もない天気のいい土曜の朝のまま。
女性と二人で降りて自宅へと歩いた。
やっと自宅に到着、鍵を開けて中に入ると奥さんが出て来て
軽く抱き合った。
奥さんと簡単に状況を確認し、一緒に来た会社の女性を車で
我孫子まで送る事を伝えた。

女性を車に乗せて我孫子にある会社の寮へと向かう。
途中の道にとくに異変はなかったが、1カ所だけ、わりと最近
に整備し直された田んぼ脇の道路が完全に崩れ、通行止めに
なっていた。手抜き工事だったっぽい。

手賀沼大橋を渡り我孫子に入った。少し行くとすぐ寮だ。
とうとう寮に着き、女性を降ろす。女性は何度もお礼を言い
笑顔で寮へと帰って行った。ほっとした。
ラベル:東日本大震災
posted by 浅谷龍彦 at 13:35| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月22日

乳癌について Vol.18

去年の12月で、5年間続いた妻のホルモン治療が終わった。
2月には年一回の定期検査を受け、3月に結果が出た。全ての
検査で特に異常はなかった。

今回も胸の超音波、骨シンチ、マンモグラフィー、血液、CT、
MRI、肝臓の超音波などの検査を行ったようだ。8月の超音波
検査で変化のなかった1cmぐらいの陰もまた、今回も変化なく、
問題はなかった。

ただし、1cmぐらいの陰を見る胸の超音波検査だけは、また
8月ぐらいに受け、半年ごとに状況を見なければならない。

前にも書いた骨シンチで投与するテクネチウムだが、テクネ
チウムはガンマ線だけしか出さない、というのも医療用とし
て扱い易い点であるようだ。
放射能汚染で話題のヨウ素やセシウムはγ線だけでなく、
ベータ線も出すから厄介。
ラベル:乳がん
posted by 浅谷龍彦 at 13:25| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月28日

乳癌について Vol.17

ちょっと時が経ってしまったが、妻が8月に超音波の検査を
行い、9月に結果が出た。今回の検査は、1月の検査で映っ
た1cmぐらいの陰が癌になるか、経過を見るものだった。

結果は、1月の検査時と陰に変化がないため癌ではない、と
いう担当医の判断だった。癌ならば血管が出来て成長してい
くため、半年過ぎて変化が無いというのはあり得ない、との
事。

結果を聞いてホッとした。

この12月で手術をしてから5年が経つ。そして投薬のホルモ
ン治療が終わり、一連の治療が漸く終わる。が、再発の不安
は無くならない。むしろこれからの方が不安だ。10年再発し
なければ再発は無いともいわれるが、安心できる事はないだ
ろう。

おまけに太平洋側の東日本一帯は、東電がまき散らしてくれ
た放射性物質の影響(公害)が、今後誰にどの様に現れるか
わからないという状況になり、生活環境が悪化している。
(低放射線被爆は健康に影響がない。のではなく、影響が
 あるかどうか、まだはっきりわからない。というのが現状)

だが、一病息災。
この病気によって健康に気を付けるようになり、生活習慣が
改善する事を期待して行きたいとも思う。

笑う門に福来り。
笑う事で免疫力を上げると同時にストレスを減らせれば良い
が、世の中はストレスが増える事ばかり(笑)。
ラベル:乳がん
posted by 浅谷龍彦 at 19:49| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月09日

3.11 その6

外に出て見ると風のない良く晴れた朝の世界がそこにあった。
昨日の地震やその後の混乱もなかったかのようだった。
しばらく京成の最寄り駅に向かって行くと、また道が車で混
雑して来た。朝の通勤ラッシュだ!土曜だから平日ほどでは
ないのだろうが、結構込んでいる。もうすぐ渋滞が始まりそ
うな勢いだ。そしてその車の群れの中には、通勤ではなく、
昨夜からの帰宅の車もいたに違いない。

さらにちょっとすると昨日電話したレンタカー屋の前に来た。
もうレンタカーを借りるつもりはないが、一応レンタカーが
あるかどうか聞いてみた。すると、まだレンタカーはないま
まだった。

30分ぐらい歩ってやっと駅に着いた。一息ついた後、女性と
改札口に行ってみると、人気もなく何かおかしい。電車が動
いている気配がない。あれ?
良く見てみるとそこは京成の駅ではなく、東武の駅だったw
二人とも京成の駅に行った事がなかったので、近くにある東
武の駅に来てしまったのだ。
二人で「京成が動いてないかと思って焦った!」と笑いなが
ら、また京成の駅に向かって歩いた。

それから10分ぐらいかでやっと京成の駅が見えて来た。こち
らは東武の駅とは違い、他にも駅に向かう人達がいて、電車
が動いてる感じだ。

駅に近付いて行くと遮断機が降りる時の警報音が鳴り出した。
電車が来る!しかも遮断機の矢印を見ると千葉方面の電車の
ようだ。これを逃したら次いつ電車が来るかわからない!
二人で駆け出して改札からホームに飛び込んで行った。
ホームに入ると既に電車は止まっていて、開いたドアから人
が降りて来ていた。最後尾のドアから乗り込んだが、混んで
はいても寿司詰状態にはなっていなく助かった。
乗った電車は青砥で止まる電車だった。

電車は青砥までの間、何度も止まり、のろのろと走っていた。
止まる度にこのまま動かなくなるのではと、不安がよぎった。
車窓から時々仕事場のビルが見えた、なかなか遠離らないw
やっと青砥に着き、駅員に乗り継ぎを確認した。
駅員によると、約10分後に別の千葉方面の電車が来て、それ
に乗って高砂まで行き、そこから今度は北総線に乗り換えら
れるとの事だった。

駅員を信じw、 約10分後に来た電車に乗り、高砂で降りて
北総線を待った。順調だ。そして北総線も10分ぐらいでやっ
て来た。混雑もそれほどひどくない。その電車に乗り、やっ
と東京脱出の瞬間がやって来た。

電車が橋に差し掛かり急に車窓からの視界がひらけ、澄み切っ
た寒い青空の下に流れる江戸川と両岸の河川敷、遠くにはまだ
仕事場のビルが見えたw。やっと東京とお別れだ!
posted by 浅谷龍彦 at 23:37| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月24日

2/25にライブやりました

もう一月前ですが、2/25(土)、荻窪のRooster North Sideで
ライブやりました。 今回は学生時代のサークル、軽音の繋がり
でOBや現役生などを集めた企画ライブでした。

・Rooster North Side
http://ogikubo-rooster.com/north/

また、ライブは多くの人が集まる機会なので、今回は東日本大
震災への募金も集める事にしました。ただ赤十字への義捐金で
は被災者にいつ届くかわからないので、被災地で活動するボラ
ンティアに寄付する事を考え、次の2団体に寄付する事にしま
した。

・civic-force
http://www.civic-force.org/

・子供たちを放射能から守る福島ネットワーク
http://kodomofukushima.net/

ライブには4組が参加し、現役生のB'zコピーからアコースティック、
今時のロックと来て、最後は自分達のオールドロックンロール
の流れで、その後におまけのセッションで楽しく盛り上がりま
した。

集まった寄付金は参加者とお客さんから25,941円になり、これ
を26,000円にして2団体に13,000円づつ振り込みました。

また来年もやるかな。
posted by 浅谷龍彦 at 14:26| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月17日

3.11 その5

7時に起きた後、残っていたパンを食べつつネットで道路や
鉄道の状況を確認した。すると千葉方面に向かう鉄道として
は京成が動いているようだった。常磐線は状況がはっきりし
なかった。動きそうだと言う人もいれば、10時からだ、いや
まだわからないと情報が錯綜していた。

昨夜から外の様子、ネットからの情報から判断して、とりあ
えず早く江戸川を渡って東京を抜け出さないと、車は渋滞、
電車は乗り待ちの大行列に巻き込まれると思っていた。
自分と同じように泊まった人達が動き出すだろうから。

京成でも江戸川さえ越えれば、タクシーも捕まえ易くなるだ
ろうし、上手くいけばその先の乗り継ぎもあるかもしれない。
仕事場の人達はまだ様子を見てるようだったが、自分は京成
で行ける所まで行く事に決めた。

動き出す前に、おじさん宅に避難した女性二人の状況を確認
しようと一人に電話してみた。するとその女性は一人で家を
出て、今から浅草に歩いて行くところだ言った。もう一人は
帰って来たおじさんと一緒にいるとも。
浅草に行ってどうするのか訪ねると、銀座線に乗ると言う。
浅草で銀座線に乗っても千葉方面には近づけない、遠離るだ
けだw。彼女は新人の子で、首都圏の地理にまだ疎い。そこ
で仕事場に戻って来て一緒に京成で千葉方面に行こうと提案
した。彼女も浅草に行っても意味がない事がわかったらしく、
仕事場に戻って来る事にした。

7時半ぐらいに女性が戻って来て、二人で仕事場を出た。
さて世間の状況はどうなってるだろう?

posted by 浅谷龍彦 at 15:48| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月04日

乳癌について Vol.16

一昨年の11月に検査をしてから1年以上経ち、1月になって
また妻は検査を受けた。今回も超音波、骨シンチ、マンモグ
ラフィー、血液、CT、MRI、肝臓の超音波などの検査を行っ
たようだ。

結果はどれも正常だったが、今回はちょっと気になる事が出
て来た。超音波で胸に1cmぐらいの陰が映っていたのだ。
検査担当の所見では、「術後の変化」とだけあり、現時点で
は問題のあるものではないのだが、これに血管が出来、大き
くなりだすと再発を疑わなくてはならなくなるそうだ。
そのため超音波だけ半年後にまた検査する事になった。

そこで再発時の治療について聞いてみたが、担当医によると、
再発した場合は乳房全摘出手術になるそうだ。温存手術や乳
房の再建もない、と言い切られた。

その理由を聞き損ねたが、一度再発したら乳房を残したり再
建しても再発を繰り返す、という事だろう。次の検査時に聞
いてみようと思う。

しかし再発したら全摘しかないのうだろうか?
あとで調べてみよう。。。
一番怖いのは他への転移、次が再発。

また前回確認し忘れた「胆嚢に3mmのポリープ」の件を確認
すると、担当医は、はあ?という顔をしてからカルテを見直
して「気にしないでいいです。」と一言。

しかし今度は「脂肪肝です。」と言われた。いままでの長期
の薬の服用と抗癌剤治療などの影響を考えたら、ならない方
がおかしいくらいだが、とうとう体に治療の負担が出て来た
わけだ。ホルモン治療での薬の服用が後1年半続くのだから、
また気をつけなければならない事が増えてしまった。

今回の検査結果を聞いた妻の感想は「なんかはっきりしなく
て、グレーでモヤモヤする。」だった。これからは、はっき
りすっきりという状況はないのかもしれない。

ここからは余談だが、検査では放射線を使うものが多い。
骨シンチ、マンモグラフィー、CT。去年までは放射線はあま
り多く浴びると良くない、ぐらいの認識しかなかったが、東
京電力福島第一原子力発電所の事故以来えらく詳しくなって
しまった。ガイガーカウンターも買った。

特に骨シンチはテクネチウムを3700,000Bq〜7400,000Bq
も投与する。検査した日の夜、妻の体にガイガーを当てると
20μSv/hにもなった。ウィキペディアによると、テクネチウ
ム (99mTc) の半減期は6.01時間らしい。24時間後で1/16、
48時間後で1/256、72時間後で1/4096。

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/テクネチウム

翌日の朝は測り忘れて夜になってしまったが、また奥さんに
ガイガー当ててみると、0.13μSv/h前後。もうほとんど空間
線量から上がらなくなっていた。

以下は札幌医科大学附属病院、放射線部の骨シンチの説明。
http://web.sapmed.ac.jp/radiolb/rt/kanja/RI/RI_bone.html

放射線医療の利用についてももう少し考える必要がありそうだ。
次の検査は半年後の超音波。
posted by 浅谷龍彦 at 23:48| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月31日

柏J1優勝!

12/3、柏レイソルがJ1優勝を果たした。
当日は埼玉スタジアムの端っこで優勝の瞬間に
立ち会った。

レイソルがJリーグに参加したのは1995年。
Jリーグ開始の2年後だった。
1994年、Jリーグへの昇格を目指す柏には、80
年代ブラジルのスーパースターの一人、カレッ
カがおり、昇格を争っていたC大阪には森島が
いた。これはまだJFL。
日立台はスタンドが整備されておらず、ピッチ
横にある溝に腰掛けて観戦していた。時々タッ
チラインを越えたボールが転がって来て、投げ
返したりしていた。
その頃、柏駅前の歩行者天国でカレッカらしき
人を見かけた事があったが、当時多くいたイラ
ン人と見分けが付かず、声を掛けなかった事が
あった。

1995年にJリーグ昇格した後、ニカノール監督
時代はタイトルは取れなかったが、攻撃的サッ
カーが見ていて楽しかった。エジウソン、ジャ
メーリ、加藤望が絡む攻撃にはスピード、イマ
ジネーション、スペクタクルがあった。
当時、柏にできたブラジル料理の店で、奥さん
と噛み切れない肉料理を食べている所にエジウ
ソンが笑顔で現れ、店の人と話しながら食事を
始めた事があった。エジウソンはいつも笑顔だ
った。

1999年は西野監督で、ナビスコカップに優勝。
北嶋、薩川、明神、洪明甫、黄善洪などがい
て、スペクタクルはなくなったが、安定して勝
てるチームになっていた。
国立での決勝、鹿島を相手にPK戦の末、クラ
ブ初タイトルを獲得。
優勝セレモニーが終わり、選手がサポーターに
挨拶に行った時、洪明甫がスパイクをスタンド
に投げ込んでいたのが印象的だった。
試合後は、信濃町駅の駅ビルにあるジョン万次
郎で仲間と祝杯を上げた。一緒に見ていた川崎
サポの奴は柏のタイトル獲得を羨ましがってい
た(笑)。

だが2000年の2ndステージ優勝を逃した後は
2005年のJ2降格へと低迷して行く。しかし降
格後の柏は、サポーターとクラブが話し合い、
対立から相互理解、更なる一体感と結束へとそ
の関係を深化させていった。そしてそこには石
崎監督、復帰した北嶋の存在があった。

2009年に二度目の降格が決まっても、その束
は崩れる事なく、今度はネルシーニョ監督元、
北嶋、レアンドロ・ドミンゲス、大谷などの選
手を中心に、1年でのJ1復帰からそのままJ1優
勝へと突き進んで来た。

こうして柏レイソルの歴史を振り返ってみると、
浮き沈みの激しいスペクタクルな歴史だという
事がわかる。そして北嶋はその生き証人のよう
な人だ(笑)。

しかし、そういう話ができるのも優勝したから
だろう。

柏レイソル優勝おめでとう&ありがとう!
posted by 浅谷龍彦 at 21:51| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月29日

3.11 その4

7時頃、仕事場で、そのまま泊まる人の確認が行われた。
またその時に、買い出した夜食があり、誰でも食べられる事
が告げられた。ざっとフロアを見渡して、通常の1/4の人が
残っているようだった。

携帯が壊れ、暇つぶし手段を失ったので、眠くなるまで普通
に残業する事にしたw。あまり空腹感はなく、ウィダインゼ
リーをすすったぐらいで、特に何か食べたいとは思わなかった。
人が少なく普段の雑音がないフロアでは集中して仕事ができるw。
だが仕事に飽きて窓の外を見ると、外では道が車で溢れかえ
り、赤いテールランプで埋め尽くされていた。

高速道路は地震後すぐに閉鎖され、時折点検車と思われる車
が走っているだけだった。ネットのニュースでは、JRの駅は
閉鎖され、徒歩で帰宅する人達、施設を解放している話など
が載っていた。

12時まで仕事をし、その後、眠るために椅子を並べて横になった。
空調が利いてるため、寒さは感じず、思ったよりスムーズに
意識が遠のいた。ビルの外の光景は変わらず車の波だった。

その後4時頃目が覚めた時も車は少し減った程度だった。
だが6時頃目が覚めた時にはほとんど車がなくなっていて驚いた。
次に7時頃にまた目が覚めた。そこで起きる事にした。
posted by 浅谷龍彦 at 00:07| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月29日

3.11 その3

6時過ぎ頃、夜食を買いにビルそばにあるコンビニに行くた
め階段を降り始めた。すると階段の壁が5センチぐらいのサ
イズでボロボロ剥がれ落ちていた。

降りて行く途中、子供をおぶり、両手にスーパーのレジ袋を
かかえた主婦の人が、息を切らせながら登って来る。その後
にも子供を連れた人など、夕方の買い出しをしてきたと思わ
れる主婦達が次々と登って来てすれ違った。みんな休みなが
ら、子供を諭しながら登っているようだ。

コンビニに入ると、おにぎり、弁当類は既になく、カップラー
メンなども残り少なくなってきていた。自分は残っている菓
子パンとウィダインゼリー、飲み物を買った。
この時、このコンビニがあるビルに公衆電話がある事を思い
出した。人が並んでいるかなと思ったが、誰も人はおらず、
すぐに妻に電話した。公衆電話からのためか、すぐに妻につ
ながった。妻はごく冷静で、家の中は特に散らかっておらず、
猫も含め、心配はない、との事だった。こちらからは一晩泊
まる事を伝えた。
次に自分と妻の実家に電話した。
自分の実家の方では停電が起きているが、大きな被害はない、
との事。妻の実家の方では停電と、家の瓦が一部落ちた、と
の事。公衆電話のおかげで、家族の安否が確認できてホッと
した。もう後は明日の電車再開まで、仕事場でゆっくりする
だけだw。

コンビニでの買い出し後、また仕事場に戻るのに、ビルの階
段を登り始めた。このビルは16階までがオフィスで、その上
がマンションになっている。エレベーターが止まってしまう
と、住民は高層階まで階段を登らなければならなくなる。
登る途中、休んでいるおばあさんがいた。レジ袋を持ってい
たので、「大丈夫ですか?お持ちしましょうか?」と声をか
けたが、笑顔で「大丈夫です。」と言われたので、またひと
り階段を登り続けた。14階ってのは結構しんどい。更に上の
階まで登る住民は、どれほどなのか?
やっとの思いで14階にたどり着いた。
ラベル:東日本大震災
posted by 浅谷龍彦 at 23:47| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月13日

3.11 その2

5時を過ぎたくらいから少しだけ余震の間隔が長くなり、帰
り支度を始める人も出て来た。そこでまた館内放送があり
「階段の壁も剥がれていて危険なので、使わないで下さい。」
と流れた。が、それでも何人か帰り始めた。同僚の一人も、
家が比較的近いため歩いて帰る事を決めた。2、3時間で帰れ
るだろうと予測していた。僕は電車が止まった時点で、仕事
場に泊まるつもりでいた。まだ体力は温存しておくべきだと
思っていた。

そうしているうちに誰かが言った「また燃えてる。さっきよ
りも激しいぞ!」その言葉でまた東の遠くを見ると、さっき
と同じ所で更に激しい炎が上がっていた。誰もが「あれはや
べえんじゃねえ?」ともらしながら、食い入る様に見つめて
いた。後でわかったが、その炎はコスモ石油千葉製油所のガ
スタンクから上がる炎だった。

その後5時半頃か、3回目の館内放送があり、エレベーターは
停止、点検中。階段は注意して使用可、との事だった。これ
を聞いて歩いて帰ると決めた人が一斉に帰り始めた。同僚も
帰って行った。「気をつけて!」と送った。また、同僚の女
性のひとりは、揺れ続けるビルが怖いので、近くにある親戚
の家に行くとの事。その親戚のおじさんには連絡がついてな
いが、合鍵があるので家には入れるとの事だった。ひとりで
の行動は危険かと思い、もうひとり女性の同僚がいたので、
二人で非難してもらう方がいいだろうと判断して、二人で避
難してもらう事にした。

自分はもう泊まると決めていたが、ふとレンタカーは使えな
いか?と思い付き、近くのレンタカー屋を探して電話したが、
やはり既に全車レンタル済だった。ビルの周りの道路には、
夕方の帰宅ラッシュと、首都高閉鎖のために高速に入れずに
一般道に回った大型業務車両が溢れ始めていた。
posted by 浅谷龍彦 at 22:10| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月26日

3.11 その1

備忘録も兼ねて、東日本大震災当日の自分の行動をブログに
残しておこうと思って書きました。
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震災の日、いつも通り墨田区あたりで仕事していた。いい天
気だが寒い日だった。午後3時前、最初の地震が来た。
その揺れは今まで仕事中にあった地震の中で一番強かった。

仕事場はビルの14階にあり、地震がおさまった後も、ビルは
数分間ゆっくりと大きくきしみながら揺れていた。だが机の
上の物が落ちたりする事はなかった。そこですぐ同僚がYahoo
の地震情報で震源宮城沖、宮城震度6強、M7.9というのを見
つけ、2人で「震度6強、M7.9って、すごいことになってるん
じゃねえか?」と話し合った。ようやくビルの揺れがおさまっ
た頃、また同じくらいの地震が来た。これは今までの地震と
は違うと思い、すぐに妻の安否を確認しようと携帯で電話し
たが、既に繋がらない状態になっていた。メールも送れない。
何度か繰り返したが変わらなかった。

このビルでは2、3ヶ月前に避難訓練をしていたので、何か指
示があるかと思ったが、何もなかった。誰もが仕事にならず、
外の様子を見たり、ネットの情報を見たり、ワンセグでテレ
ビニュースを見て、話し合い、状況の推移をうかがっていた。
最初の地震から20分ぐらい過ぎた頃か、ようやくビルの防災
担当から館内放送があった。内容は「エレベータ停止。ビル
の外壁が剥がれ落ちている。外よりビル内の方が安全。だか
ら今の場所で待機。」だった。

待機になったが、たびたび余震も来るため仕事にはならず、
この後どうするか、など同僚達と話し合っていた。そうして
る間にビルの東側、遠く千葉市の辺りで炎が上がっている事
に誰かが気付き、みんなが窓際に集まってその様子を眺め始
めた。このビルの東側からは、新木場公園のブリッジ、葛西
臨海公園の観覧車、幕張のビル群などが見え、そのまた先に
炎が上がっていた。しばらく見ているとみんな飽きたのか、
窓際から離れて行った。そして数十分後に見た時には既に炎
は見えなくなっていた。

この間、妻に連絡しようと携帯で電話したり、メールを送ろ
うとしていたが、やっとメールが一回送れた。だが、その後
トイレに行って、再び携帯を使おうとしたらスリープ状態か
ら復帰しなくなっていた。
posted by 浅谷龍彦 at 00:15| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月07日

否認

東電福島第一原発事故当初、関係者達はこぞって地震や津波が
対策想定規模を超えていたために事故が発生したと強調してい
た。しかしその想定自体が甘く、杜撰(ずさん)だったことが次
々と露呈してきて久しい。

原発「安全神話」の特徴のひとつに放射性物質漏出の否認があ
る。放射性物質が漏れ出る事態なんて「あるわけないから考え
る必要もない」という自己暗示/信仰が関係者を支配してきた。
この否認が放射能汚染への備えを皆無にし、事故対応が後手後
手、バラバラ、とにかく隠蔽へと流れていく大きな要因となっ
た。それが端的に現れているのが、モニタリングポストの扱い
だ。

素人考えでも、原発で何か事故が起こったら、まず放射性物質
が漏れてどこまで飛散しているか確認するために、通常よりも
モニタリングを強化し、測定をより細かく大規模に行う体制を
構築することから対応を始めるものだと考えるだろう。放射性
物質の有無がその後の行動を決定付けるのだから。
だから事故が起きたら当然モニタリングが増やされ強化される
のが当り前だ。ところが今回は地震、津波で通常よりもその数
が減った。なのに政府、関係省庁、地方自治体、関係事業者な
どが、その後もモニタリングポストの復旧を急いだり、緊急に
監視体制を構築したりといった対応をとったとは聞かなかった。

当初モニタリングを強化したのは、ほとんど民間人や有志の学
者個人だった。公的機関の対応は民間有志のモニタリング結果
を元にした訴えがあってから、やっと少しすこしずつ増え出し
たような有り様だ。自らモニタリングの強化さえしなかった当
事者達に一体どんな対応が望めよう?
要求がなければ、問題が表面化しなければ何もせずやり過ごし
たいというのがありありと見て取れる。

だが、実際は水、土地、農水産物、瓦礫、生活ゴミなど生活全
般にわたって放射性物質汚染が広がり、不安と混乱を引き起こ
しており、事態収拾の目処は立たない。
posted by 浅谷龍彦 at 15:35| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月26日

情熱大国

原発が「安全」と言えなくなった推進派が次に言い立てている
のは、「原発が止まると電力不足で経済が混乱する」という主
張だ。その言葉に真実味を持たせようと計画停電や節電要請を
行っている。
だがこれはたぶん逆の効果を生むことになるだろうと予想する。
現在稼働中の原子炉は54基中20基未満。このまま点検に入っ
た原子炉を再稼働できないと、来年春には全原子炉が停止する。
原子炉がひとつまたひとつと止まる度、「原発が止まると電力
不足で経済が混乱する」と言えば言うほど、不安を覚えるもの
あるいは企業は、他の代替エネルギーでの電力確保に加速度的
にシフトして行くのではないだろうか?
恐怖心、不安感がかえって原発からの乖離を促すように思われ
る。

現在の東日本を見ればわかるが、日常的に電力不足なのではな
い。ある特定期間のピーク時に電力が足らない、ということだ。
ピーク時以外では電力が今でも余っている。深夜帯とか。
もし大口需要企業が企業努力で、そのピークを分散させてしまっ
たらどうなるのだろう?
今でも既にそうだが、節電要請によって、企業活動や市民生活
が大きく変わって来ている。過去に散々議論されても導入され
なかったサマータイムが企業個別であっさり導入されている。
多くの人にとって変化は混乱に映るだろう。しかしこの混乱が
恒常化したら変化となる。もう震災・原発事故以前には戻れな
い。

今や反対派と推進派の立ち位置が完全に入れ替わってしまった。
東電原発事故以前は、反対派が、いつか重大な危機が来ると唱
えるのを、推進派は「オオカミ少年」のように扱っていた。
今では、推進派が「原発ないと電力不足で経済混乱」とふれ回っ
ている、それどころか原発維持のためには「経済的な混乱」を
3月の計画停電のように演出しようとまでしているようだ。
この原発への非合理的なまでの情熱はどこから来るのか?
この情熱は経済的なものではない。
posted by 浅谷龍彦 at 22:21| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月28日

東電原発事故に絡んで

震災以来、当日の自分の行動を備忘録も兼ねてブログに残して
おこうと思っていたが、どうしても関心が原発事故に向いてし
まうので、そちらから書こうと思う。ただ原子力の理論や技術
について何か語れる訳はないので、原発を取り巻く状況につい
て書くことにする。

原子力発電所については、その始めから反対運動があり、推進
派と対立して来た。だが今回の東京電力福島第一原子力発電所
の事故が発生するまでは、ずっと推進派が反対派を圧倒し、40
年余りで54基もの原子炉が作られ、さらに増やす計画が進めら
れていた。これまで推進派は原子力について安全を前面に押し
出して関係者を説得し、世論の支持も得てヘゲモニーを握って
来た。しかしその「安全」が今回の地震と津波によって打ち砕
かれてしまった。

言説はそれ自体で自立して存在できるものではない。言説が説
得力を持つには、何かその言説に対応する(と思われる)事実の
存在が必要になる。これが言説の説得力の(公然の)秘密である。
これは、詐欺師が自身の嘘に信憑性を持たせるために、何かひ
とつ事実を嘘に混ぜ込むということによって、ネガティブに証
明される。

推進派の言葉に力を与えて来たのが、大きな事故は起きてない
という事実だったが、今回の事故でその「事実」が消えてなく
なってしまった。言葉を支えて来た土台が崩壊してしまったの
だ。

今、福島での東電原発事故によって、推進派がヘゲモニーを失
い、反対派が勢いを増している。だが反対派がヘゲモニーを握っ
たとまではいえない。今まさに原発を巡る言説の中でのヘゲモ
ニー闘争が繰り広げられている只中にある。
今、真理は不在。
posted by 浅谷龍彦 at 02:43| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月04日

東北大震災チャリティLIVE

3/21、ゴールデンエッグでのライブに来ていただいたみなさん
ありがとうございました!

今度はゴールデンエッグで4/23(土)に行われる
東北大震災チャリティLIVEに参加します。

ほんの少しでも震災からの復興に役立てばと思います。
詳細はまたお伝えします。

以下、ゴールデンエッグのスケジュールから
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【東北大震災チャリティLIVE】 Open19:00/Start19:30
Charge 0円 2drink制1000円
募金箱を置きます。集まったお金は間違いなく義援金とします。
・巴里野郎
・吉田マサオ(Gypsie)
・RoundFace
・Red Octopus
・NightMusic band
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ゴールデンエッグ
http://bit.ly/e8oBZk
posted by 浅谷龍彦 at 15:49| 千葉 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする