2023年08月15日

乳がんについて Vol.32(カルテの開示)

また期間が開いてしまいました。自分のメモと記憶を頼りに書こうと思ってましたが、いざ書いていくといろいろと曖昧になって不安を感じてきたので、どうしようかと考えているうちに、見てもらっていた病院から記録をもらうことを思いつきました。さっそく病院に問い合わせてみると、担当者につながれて、すぐに対応してもらえることがわかり、こちらは週末が都合がいいので、土曜に担当者と話すことになりました。この時、これが「カルテ開示」と呼ばれるものだと知りました。

土曜日、病院に行くと担当者からカルテ開示の説明がありました。
まずカルテなどの保存期間は15年で、開示資料はカルテなどの診療記録の他にレントゲンやCT、MRIなどの画像、看護記録などです。開示方法も閲覧と複写がありました。複写の場合、手数料が3千円ぐらい、書類の複写が白黒20円、カラ−50円、画像のCDーRが1枚500円ぐらいとのことでした。

妻の場合、初診からちょうど15年だったので全部の記録が残っていそうです。ただそうすると費用がどのくらいになりそうか訊ねると、やってみないとと前置きした上で、ざっと書類が千から2千枚、画像がCDR数枚で5、6万円くらいになるかなと言われました。まあそれくらいは想定していたので、お願いすることにしました。できるまでに2週間ぐらい必要で、用意出来次第連絡をもらえることになりました。

1週間が過ぎた頃に担当者さんから電話があり、資料が2千枚ぐらいになりそうで、2週間後には渡せるということで、また土曜に受け取りに行くことにしました。

土曜に受け取りに行くと、担当者に会い、資料を受け取りました。資料は業務用のA4コピー用紙が入った段ボールよりももう一回り大きいぐらいの段ボールを渡されました。中にはびっしりと書類が入っていて隅にCDーRが何枚かありました。

費用を聞くと担当者は紙で2千枚強、CDRが10数枚ということで消費税こみで6万円弱になったということでした。お礼を言って段ボール箱を受け取り、会計を待つ間、この病院のがん患者支援センターで妻がいろいろと相談していた看護師さんに会いに行き、カルテ開示の話をしました。看護師さんとは妻を懐かしみながら病院内での思い出話をして、少し気が紛れた気がします。

会計を済ませて家に帰り、ダンボールを開けて資料を取り出してみました。確かに15年前の手術からすごい数の資料があります。これまた内容を細かく見ていくのは抵抗があるのですが、必要なことなので、この資料を頼りにこれからまた書いていこうと思います。
ラベル:乳がん
posted by 浅谷龍彦 at 14:10| 千葉 ☔| Comment(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年02月20日

乳がんについて Vol.31(ウィッグの寄付)

妻が使っていたウィッグがあり、捨ててしまうのはもったいないと思っていたので、買ったお店に聞いてみたがリサイクルなどはしていないということでした。それでどこか使用済みのウィッグを集めている団体はないかネットで検索してみると、一つの団体が見つかりました。NPOのウィッグリング・ジャパンというところです。福岡が拠点のようですが、ここは使用済みの医療用ウィッグを集めて、必要な人にウィッグを安く販売したりレンタルしているらしい。がん患者の支援が目的のようです。他の団体もないかと少し検索結果を追ってみましたが、それらしい団体は見つかりませんでした。こういう活動はまだ少ないようです。

ということで、ウィッグリング・ジャパンにウィッグを送ることに決めて、指定の送付方法でウィッグを送りました。ここはウィッグだけでなく、ウィッグ用のシャンプーなどメンテナンス用品も募集していたので、合わせて梱包しました。妻のウィッグがまた誰かの役に立ってくれたらうれしい。

ウィッグリング・ジャパン
ラベル:乳がん
posted by 浅谷龍彦 at 23:41| 千葉 ☔| Comment(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月25日

ワールドカップ 2022 その4

ワールドカップが終わって1週間。すごい決勝だった。アルゼンチンが2点リードし、フランスが追いつく。延長戦になってもアルゼンチンが得点し、フランスが三度追いついてPK戦。そしてPK戦を制してアルゼンチンが優勝。こんなスリルと興奮の決勝戦は滅多にない。アルゼンチンの選手達は改めてワールドカップで優勝することの大変さを味わったに違いない。
こんな面白いワールドカップの決勝はいつ以来だろうと思い、思い出したのが86年のメキシコ大会の決勝です。戦ったのは西ドイツと、そうアルゼンチン、マラドーナのアルゼンチンだった。この時もアルゼンチンが2点リードした後の後半の後半に西ドイツに同点に追いつかれますが、この時は最後にアルゼンチンが3点目を取って優勝したのでした。当時高校生だった自分は深夜、眠い目をこすりながら必死に見ていたのを思い出します。この大会というと準々決勝のイングランドvsアルゼンチン戦のことばかり取り上げられますが決勝もすごかった。

この頃、日本はまだワールドカップ出場には辿り着けず、前年の最終予選では最後、木村和司が伝説のFKを決めるも韓国に負けて敗退していました。

あれから36年、ついにメッシがアルゼンチン人の願いを叶え、5度目の出場で優勝を果たすなんて劇的過ぎる。アルゼンチンの熱狂は年明けまで続くことでしょう。おめでとうアルゼンチン。いつか日本が優勝する日も来るのだろうか?

posted by 浅谷龍彦 at 01:54| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月14日

短歌

亡き妻の思いを継いで成す事が
何か嬉しくなぜか切ない
posted by 浅谷龍彦 at 00:33| 千葉 🌁| Comment(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月11日

ワールドカップ 2022 その3

クロアチアに負けた日本。懸念していた通りになってしまった。しかもブラジルまでもが日本と同じようにクロアチアから2点取れずにPKで負けた。予選のベルギー含めクロアチアから2点取れたチームはない。
日本では以前からポゼッションか守ってカウンターかというプレースタイルの議論がある。だがこれはどちらかという話ではなく、対戦相手、状況に合わせて両方できて使い分けられなければならないものだ。スペインやブラジル相手にポゼッションで張り合ってもナンセンスなのは誰にでもわかるだろう。またサッカーはポゼッションを競うゲームではない。それをクロアチアは教えてくれている。

クロアチアは格上には守り、格下には攻めて勝つ。今大会、日本は格上に守って勝つ事はそれなりにできた。ただ格下に攻めて勝つ事ができなかった。これは特にアジアでの試合で問題になる。勝つべき相手に手こずったり、勝ち切れなくて自ら状況を悪くしてしまう事がよくある。むしろこの課題を克服する事が日本をより強いチームにするように思う。

強豪国、伝統国と呼ばれるチームには勝っても負けても変わらぬスタイルがある。今回、森保監督が続投してドイツ、スペインに勝ったスタイルをベースに先の課題に取り組んでいくとしたら、そこに日本のスタイルができるのかもしれない。

とはいえ、ワールドカップはこれからがおもしろい。準々決勝、準決勝がエキサイティングなのだ。ここからは純粋に素晴らしいサッカーを楽しみたい。
posted by 浅谷龍彦 at 01:18| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月03日

ワールドカップ 2022 その2

ぶらぼー!
日本代表、決勝トーナメント進出おめでとう🎉
まさかドイツ、スペイン両国に勝つとは!!

かつての日本なら守っても守りきれず、点を取っても勝ちきれなかったが今回は違った。最小失点で守り切り、相手より多く得点できている。間違いなく日本は強くなってる。

けれど残ったままの課題もある。
守ってくる相手にどう点を取って勝つか?コスタリカのようなチームに。そして次の対戦チームであるクロアチアに。ドイツもスペインも大量得点でコスタリカに勝ったのに日本は1点も取れずに負けてしまった。ここに課題があるし世界のトップとの差がある。

この課題を克服して更に成長していく日本を見てみたい。
posted by 浅谷龍彦 at 11:16| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月20日

ワールドカップ 2022

またワールドカップが始まる!
自分にとっては最大のスポーツイベント。だが最近は個人的な事情で詳しくサッカーを見られていないので、今回のワールドカップで世界のサッカー状況を学び直したい。

今回、日本代表はドイツ、スペインという2つの優勝経験国と同じ予選グループに入ったわけだが、ドイツもスペインもかつての絶対的な強さはないんじゃないだろうか?日本にも決勝トーナメントに行けるチャンスはあるだろう。

日本が決勝トーナメントに行くには、とにかく初戦に負けないことだ。日本は過去の出場6大会で予選敗退と決勝トーナメント進出を交互に繰り返していて、この法則通りになったら今大会は予選敗退になるが、要は初戦に負けるかどうかなのだ。予選敗退した大会では、みな初戦に負けている。

今回は選手交代が5人できるというのも大きなポイントだ。このルールがゲームにどう影響するのか誰も読めない。2名増えた分をどう活かすかはベンチワーク次第だ。

さあワールドカップが始まる。日本代表の活躍もそうだが、素晴らしいサッカーが見られることを期待している。
posted by 浅谷龍彦 at 17:25| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月19日

短歌

時が過ぎ 世界は動けど 変わらずに

巡り来るは 季節と思い出

ラベル:短歌
posted by 浅谷龍彦 at 09:17| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月23日

乳がんについて Vol.30

抗がん剤治療は検査や歯の治療の後から始まります。それまでの間で、妻も自分も他にもっといい治療はないかとそれぞれ探していました。妻がかつてやっていたヨガの先生などの紹介で、民間療法の温熱療法を見つけてきて試すことを決めたので、予約して連れて行きましたが、何かピンと来なかったようでやらないことにしました。ちょっと左腕が痛くなったとも言ってました。

自分は自分で、聖路加病院の乳がん患者・家族の集まりに参加して話を聞いたり、医療保険対象外の免疫療法の病院に行ったりしました。免疫療法の病院では、治療を宣伝されて勧められると思っていましたが、そんなことはなく、妻の病状を聞いた後にわりと正直に治療効果はやってみないとわからず、効果が出る割合は決して高くないこと、高額がかかることなどを説明してくれました。そこでこちらとしては、これから始める抗がん剤治療の効果を見て、また相談させてもらうということにして病院を後にしました。

自分も妻も西洋医学に特に不信感はありませんでした。いろいろと限界があるとは思いますが。かと言って東洋医学や民間療法も否定しません。何をしても病気が良くなればいいと思っていました。妻のがんに効果があるかどうかだけです。後、治療も生活の一部ですから、治療を含めた生活全般が物理的、精神的、金銭的に持続可能かが大切になります。QOL、quality of life。
ラベル:乳がん
posted by 浅谷龍彦 at 15:40| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月30日

乳がんについて Vol.29

検査結果が出て治療することになった後は、治療に向けた検査、がんの性質を調べる生検や脳への転移かないか確認する脳のMRIとともに虫歯の治療もすることになりました。抗がん剤治療する前に虫歯は治しておく必要があるそうです。抗がん剤治療では免疫力が下がるので、口内細菌による感染症や場合によっては顎の骨が溶けるような副作用も起こることがあるためです。

妻は早速、がん治療にも知識がある歯医者さんを自分で探し始めました。調べて見ると「がん診療連携登録歯科医」というものがあり、これは日本歯科医師会が主催する「全国共通がん医科歯科連携講習会」を修了した歯医者だとわかりました。そこで妻は、登録歯科医名簿にあって通えそうな病院を選んで電話で話してみて、良さそうな病院を決めたようです。決めた病院は少し家からは遠かったですが、行ってみると院長先生が優しく、良く治療について説明してくれて患者の話も聞いてくれる理想のような先生だったようで、いい先生が見つかったと妻は喜んでいました。初診時は紹介状も持って行きました。また歯医者の診察では数回の治療で抗がん剤治療に支障はなくなるとのことでした。

それからもうひとつ、この病院ではもし通えなくなったら往診もしてくれるというのも選んだ大きな理由でした。

「がん診療連携登録歯科医名簿」

ラベル:乳がん
posted by 浅谷龍彦 at 22:48| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月04日

乳がんについて Vol.28

2015年4月、とうとう定期検査の時期が来ました。検査内容は超音波と骨シンチ/アイソトープを本人の希望で2日に分けて。検査結果がわかるのは2週間後の診察の時でした。この診察までの間も不安でしたが、二人とも極力他のことを考えて気を紛らわすようにしてました。

そしてとうとう検査結果がわかる診察の日がやって来ました。で、結果が担当医から告げられました。妻の予感通り乳がんが再発したとのことでした。しかし再発といっても手術した右ではなく、新たに左にできてしまったそうで、さらにショックだったのが肝臓にも転移があり、それも肝臓の70%ぐらいに広がっているとのことでした。

自分はショックで「そうですか」としか言葉が出ませんでした。妻の方に目をやると妻も固い表情でしたが、妻はこういう時、決まって取り乱すことなく気丈に冷静に振る舞います。うる覚えてすが確か「やっぱり」とか言ったと思います。その後に何か冗談めいたことも言ったかもしれません。

それから担当医は「治療しなければ後半年です」と続けました。妻とアイコンタクトした後、それぞれに「治療します」と答えました。検査結果の画像も見たはずですが覚えてません。これも覚えてはないですが、それから再発がんの性質を調べる生検や、脳への転移を調べるMRIなどの検査の予約をしてこの日の診察は終わったはずです。診察が終わり会計に行く間、妻が「ショックだった?」と聞いてきたので「まあね」と答えた気がします。その他あまり話はしなかったと思います。

妻は買い物が好きなので、この病院に来て会計を待つ間は必ず売店に寄って服や雑貨を見て、向かいの花屋ものぞき、何か気にいると買って帰ります。帰ると言っても真っ直ぐに帰宅することはなく、ショッピングモールに行ったり、カフェやレストランに寄って行きます。それが妻の気分転換です。この日この後の記憶もありませんが、検査して治療するということだけは二人の間で共有できていたのは間違いなく、それぞれに先のことを考え始めていたと思います。

ただ自分はこの頃からなかなか寝られなくなりました。もともと夜更かしで寝る時間が遅かったんですが、妻の状況を考えてしまうと眠気がなくなってしまったのでした。そこで寝る前に、考え事をしないようにするためにビールや酎ハイを飲むようになりました。そしてこの状況を文字にしてブログに載せることができなくなりました。

妻の方は何年も前からスカイプでネットの友達と話すのが楽しみの1つになっていて、話し相手がいれば深夜でもリビングで話してたので、二人の寝るタイミングがずれていました。再発というショッキングな状況でも自分には気丈に振る舞う分、話せる友達にいろいろ話を聞いてもらっていたのだろうと思います。話し相手がいなくてつらい時には「いのちの電話」にかけて話したこともあったようです。
妻は話したいことはためておけないタイプなので、話し始めると気が済むまで聞いてあげる必要があります。ただいつでも自分が話を聞いてあげられるわけではないので、話を聞いてくれた友達のみなさんにも精神的にだいぶ助けてもらっていたと思います。
ラベル:乳がん
posted by 浅谷龍彦 at 16:53| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月20日

俳句

夕の墓地 死者を弔う 蝉時雨

ラベル:俳句
posted by 浅谷龍彦 at 18:08| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月02日

乳がんについて Vol.27

2015年に再発がわかった後のことはメモしてあるのですが、その直前が少しはっきりしません。でも重要な時期のことなので、再発後に思い返して残した断片的なメモや記憶を頼りにできるだけ書いておきたいと思います。

Vol.16から19を読み返してみると、この時期は年一回の総合的な検査と半年ごとの超音波検査を定期的に続けていて、新しいシコリのことを気にしていたことがわかります。2014年も4月に総合的な検査を受けていて、10月頃に超音波検査もうけてるはずですが、記憶も記録もなく、はっきりしません。

2012.01 超音波検査
2012.08 超音波検査
2013.02 定期検査
2013.10 超音波検査
2014.04 定期検査
2014.10  超音波検査?

しかし断片的なメモを見ると、2014年の11月頃だと思いますが、妻が乳首が陥没したり、かさぶたができたりして、そのかさぶた取れると血と体液が出たなどと言っていたようです。それで妻は、定期的に検査はしていたものの気になり出して、病院のがん支援室に相談に行ったようなのですが、そこにいた若めの女性相談員には、かさぶたをWゴミじゃないですか?Wなどと言われ、取り合ってもらえなかったらしく、帰って来てから、恥ずかしい思いをしたと怒っていました。この件は何度か妻が繰り返し話していたので覚えています。
この出来事の影響で妻の積極性が少し削がれてしまい、その後病院に相談しに行かなくなってしまいました。自分も気にはなっていたのですが、自分が付いて行ってまで、妻を病院に行かせるような必要までは感じていませんでした。また自分の仕事も忙しい時期でした。

今振り返って思えば、なぜすぐ検査してもらわなかったのか?と感じますが、今までと違う変化がある一方で定期検査では問題がなかったし、また次の定期検査があるわけで、定期検査で見てもらえばいいやと自分は思ってしまっていたのでした。気が緩み油断していました。

時間が経つに連れ次第に妻は、悪い予感から確信へと気持ちを変化させていったようでした。15年の3月に自分の父も連れて3人で広島の宮島に旅行に行ったのですが、この頃には妻も自分も悪い知らせの前に、気にしない素振りをしながら次の検査までの時間を過ごすようになっていました。妻も検査を早めるよりも、悪い知らせを知る前にやりたいことをやる方を優先したようだったので、それを尊重したということもありました。

けれど今思うと、繰り返しになりますが、やっぱり定期的に検査していようが何か気になることができたならすぐ担当医に伝えて、すぐに検査してもらうべきだったのです!
悪いことがあっても、少しでも早い方が状態がいいし、治療効果も期待できるのだから。この時期は油断してそんな基本を忘れていたのだと思います。
患者本人がもし躊躇していたなら家族が連れて行ってあげて欲しいです。特にがん治療の場合は患者の主体性が重要になると感じました。治療の選択など患者側に判断を任せられることが多いです。患者自身の積極性がより良い結果に近づけてくれる気がします。そして患者の次には家族の積極性が大きな力になると感じています。


また別の断片的なメモには「最近、肝臓に違和感がある」との妻の言葉が残してあります。が、このメモも再発の診断結果前だったか後だったかはっきりしません。それに肝臓の変化を感じられるのかちょっと疑問で、いろいろと曖昧なのですが、当時自分が必要を感じて残したメモなので無視するわけにもいかず、ここに記しておきます。


と、ここまで書いて来ましたが、やはり今でも思い出して書くのはなかなかつらく、進みません。
でも続けます。

ラベル:乳がん
posted by 浅谷龍彦 at 01:06| 千葉 ☀| Comment(1) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月22日

乳がんについて Vol.26

以下は2014年−2015年当時、Vol.20の後に用意していた記事です。
この記事を投稿しないでいる間に2015年5月に再発がわかって、それから投稿できずに今まで来てしまいました。ちょっとわかりにくいかと思いますが、この記事はVol.19の補足のようになっています。
ここで言っている2年前とは2012年の事です。また現在「KEA工房」は表参道ではなく、恵比寿にあるようです。

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ちょっと書き忘れていたが超音波検査で映る影は触感的には硬い「しこり」です。2年前からあるしこりですが、がんにはなっていません。2年前から手術箇所の近くにしこりができ始めて、妻は自分で触って気が付いていて、検査結果が出るまでずっと再発したのではないかと不安がっていました。

また、しこりは硬いため周りの皮膚が吊れて痛いようです
手術箇所は、乳腺と一緒にリンパ節と脂肪も取っているので、脇のところが少し窪んでいて乳房も少し小さくなっている様子。そのため、ブラジャーを付けたり、特に和服を着る時にバランスが悪くなるらしいです。

そこで先日、妻はインターネットで「KEA工房」という補正インナーウェアを扱っているお店を見つけて、そこの表参道店に行き、下着と脇の窪みに当てるパットを買って来ました。パットは窪みの形に合わせたオーダーメイドだそうです。

KEA工房
ラベル:乳がん
posted by 浅谷龍彦 at 11:43| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月15日

短歌

桜散り 川面に舞いて 浮かび行く
妻は何処か 川の向こうか
ラベル:短歌
posted by 浅谷龍彦 at 21:57| 千葉 ☔| Comment(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月31日

乳がんについて Vol.25

お彼岸も終わり、もうすぐ3月も終わろうとしています。お彼岸にはまた何人もの方が妻にお線香を上げに来てくれました。来てくれた方々と妻の話をするのは楽しく、話した後では少し心が軽くなった気がします。

また、妻は杖や車椅子を使っていたので、外で同じように杖をついて歩く人や車椅子に乗っている方を見かけると気になってしまいます。何かできる事はないかといつも考えます。テレビで災害や、最近のロシアのウクライナ侵攻で被害を受けている人々が悲しみ、苦しむ映像を見ても妻へと連想がつながっていきます。まだまだ妻は思い出にはなっていないようです。

以前、妻が書いた詩に「みんな幸せになればいいのに」というタイトルものがあります。今は本当にみんなが幸せになれればいいのにと心から思います。

ラベル:乳がん
posted by 浅谷龍彦 at 07:44| 千葉 | Comment(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月07日

乳がんについて Vol.24

先日、妻の四十九日になりました。法要は少し早くに執り行いました。そしてだんだん妻がいない寂しさを感じるようになって来ました。これはこの前まで感じていた妻がいない事への違和感が薄れ、妻の不在を実感するようになったと同時にその不在を体と脳が受け入れ始めたのだと思います。


妻の写真や妻に纏わる物や場所に接すると複雑な気持ちが沸き起こります。悲しさ、寂しさ、懐かしさ、後悔、自負。自分には妻に出来る事は出来るだけしてやったという自負があります。でも同時に、もっとやれたんじゃないか?他にもやれる事があったんじゃないか?との考えが頭を過ぎります。どうしてでしょうか?


ここには一つの錯覚というか、判断条件の決定的な違いが潜んでいる事を忘れがちです。まだ先のわからない複数の可能性がある状況での判断と、ある結果が出た後から同じ状況を振り返るのとは考える条件が決定的に違うという事を。進行中の状況では考えうる可能性を考慮して行動を選択します。そのため結果後から振り返ると中途半端だったり、時には無駄だったりする事をしていたりします。


では逆に、後から振り返るとどうして進行時と違うように見えるのか?それは結果を起点にして結果から過去を再構成して考えてしまうからです。結果から過去を見ると結果に向かって一本の道筋があったかのように見えます。と言うよりも人の思考習性として状況を整理して一つのストーリーを作ってしまいがちです。あたかも一つの道が始めからあったかのように。でもそれは実際とは違います。実際にはあり得たはずの別の可能性も考えながら判断し行動して来たはずです。そこには起こらなかったいくつもの可能性があったはずです。

とは言っても振り返って後悔してしまいます。それはやはりまだ結果を受け入れたくないからかもしれません。

妻がいる間は、妻だけでなく、平日には毎日朝昼夕とヘルパーさんが来てくれ、さらに看護師さん、訪問医さん、理学療法士さん、訪問歯科医さんなどが入れ替わり立ち替わり来てくれていました。それはそれで大変でしたが、同時に賑やかで楽しく来てくれた人と触れ合う時間でもありました。ところが妻がいなくなった途端、誰も来てくれる人がいなくなり、静かな自宅に1人ぽつんといる事になったわけです。

新型コロナウィルスの流行以来、仕事がほとんど自宅でテレワークになったので妻に付き添えたのは良かったのですが、今は黙々と仕事するだけで、寂しいです。

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posted by 浅谷龍彦 at 17:54| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月04日

乳がんについて Vol.23

妻のお葬式が終わり10日が過ぎました。
まだ妻が居なくなった喪失感のようなものは感じません。今までいつも妻のことを考えながら生活していたので、その習慣が体からまだ抜けておらず、妻のことを気にしなくていい生活に違和感を感じている状態です。

これは自分の想像ですが、人が幽霊や亡霊と言ったものを信じる、あるいは否定しきれないのは、今自分が感じるような、故人はもう居ないのに何か故人がまだいるような感覚、習慣が抜け切らない状態があるからではないかと思い当たりました。
昔の人は現代人よりも想像力が豊かだったでしょうから、このような感覚を持った時に、人によっては故人が幽霊として亡霊として目の前に見えたのではないか?気配を感じたのではないか?自分の内的な感覚を外部に実体化していたのではないか?自分で自分がこんな事を考えるとは思ってもみませんでしたが、不思議とそんな事を考えました。

また自分は、お葬式など一連の弔いの行事、儀式は故人の死を広く知らしめ、故人に関わる縁、人的ネットワークを故人抜きで再構成して行くプロセスだと考えています。それは人間関係だけでなく、資産など経済的、物質的な物の移管や故人が持っていた組織や社会的地位の権限の移譲を伴う場合もあり、どれもが現世に残ったものを故人から切り離して行く行為なのだと思います。

こう書くと故人に冷たい感じになりますが、こうして故人と残った人々を住み分けないと、後々両方とも不幸になって行くのかもしれません。故人は現世を離れ切れずに彷徨い、残された人々は幽霊や亡霊を見続けるのかもしれません。

ラベル:乳がん
posted by 浅谷龍彦 at 23:22| 千葉 ☀| Comment(2) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月25日

乳がんについて Vol.22

先週の金曜日、妻が亡くなりました。
明日お通夜で明後日がお葬式。
診断はがん性リンパ管症というものでした。
まだよく理解してませんが、がんが転移した肺で血栓ができ、その血栓がリンパ管を詰まらせて呼吸ができなくなるという症状だったかと思います。
最後どこまで苦しかったのかわかりませんが、少しでも苦しさが少なかったとしたらよかったかなと思います。

今はただ、ありがとう、お疲れ様でしたとだけ書いておきます。
大好きでした。
ラベル:乳がん
posted by 浅谷龍彦 at 00:31| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月11日

乳がんについて Vol.21

このブログが止まって何年になるか?前回が2014年9月だから7年かな?
だんだん記事を書かなくなってTwitterの転載が増えてはいたが、更新できなくなったのには別に大きな理由ありました。それは、妻に乳がんの再発が見つかって、それも左の胸と肝臓への転移もあるものでした。しかも肝臓への転移はかなりの範囲で、主治医からは治療しなければ半年とまで言われました。これが2015年5月のことです。本当はここからがブログに書いて、みなさんに伝えるべき状況でしたが書けなかった。しばらくはショックで眠れなくなって、それまでしたことのなかった寝酒をするようになりました。

ではなぜ今こうして書いているのか?それにも理由があります。2015年の再発からその後、骨、脳、肺へと転移が広がり、先月とうとうがん治療も終わって妻との時間も残り少なくなって、改めて妻と自分の経験をこれを読んでいただくみなさんに伝えたいと思ったからです。
再発以降、ブログは更新できませんでしたが治療のメモは取ってきたので、このメモを見返しながらこれまでの経験をお伝えしていきたいと思います。

今、妻は自分の後ろのベッドですやすや寝息をたてて寝ています。ここは病室、外にはのどかな田園風景と雲ひとつない青空が広がっています。
ラベル:乳がん
posted by 浅谷龍彦 at 16:30| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする