2012年07月14日

不純であれ!

★これはTwitterでつぶやいたものです。
★アカウント:@TatsuhikoAsatan
----------
自由を擁護する者は、自由を否定する者の“自由”までも許容できなけれ
ばならず、民主主義を擁護する者は、民主主義を否定する者の意見をも
民主的に尊重しなくてはならない。それでなお、それらの者に主導権を
渡さないようにしなければならない(笑)
----------
ナチス理論家の法学者、カール・シュミットは、民主主義とは一つの同
質性であり「あらゆる現実の民主主義は、平等なものが平等に取扱われ
るというだけではなく、その避くべからざる帰結として、平等でないも
のは平等には取扱われないということに立脚している。」という。
『現代議会主義の精神史的地位』
----------
またカール・シュミットは、独裁をこう定義する。「独裁は民主主義の
対立物ではなく、権力分立の本質的な破棄、すなわち憲法の止揚、した
がって立法と行政の区別の破棄を意味するのである。」
『現代議会主義の精神史的地位』
----------
「真」の自由や「真」の民主主義は、その内部に自己否定を含んだ不純
な状態こそが真だ。否定を含まない「純粋」な自由や「純粋」な民主主
義は、ただの全体主義になる。
posted by 浅谷龍彦 at 00:36| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 解体(心象) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月30日

永久の真理

14歳位までだと思うが、それまでは、世界にはただ一つの絶対的な永
久の真理があるだろうと思っていた。それがある夜、眠ろうとする布
団の中で、ふと思いついた。
”世界にただ一つの絶対的な真理など絶対にない”としたら、その認識
それ自体が”世界にただ一つの絶対的な真理”ではないのか、と。

その後19、20歳の頃にまた、ふと思った。
仏教のいう諸行無常。万物はみな永久の相にはなく、全て常時流転す
るという認識。だが、その認識それ自体は、全てのものが流転する世
界の中で"不変"ではないのか、と。
タグ:諸行無常
posted by 浅谷龍彦 at 00:37| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 解体(心象) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月23日

足し算?

死ぬまで生きる。ただそれだけ。
「なぜ自分は生きてるのか?」そんな事を考えるには、既にある程度生きて
いなければならない。

生まれたばかりの赤ちゃんにとって、その1分、その1時間、その1日が人生
の全てである。ところが2日経つと、その赤ちゃんにとって、1日が人生の中
に占める割合は半分になる。3日経つと3分の1、4日経つと4分の1と、
どんどん人生に占める1日の重みは小さくなって行く。
そうしてどんどん年を取って行くにつれ、1日の重みは小さくなって行き、
1日が、1年が、10年が、「あっ」と言う間に過ぎて行くようになる。

人生は「足し算」である。
1度経験した(足した)出来事を消す(引き算)事はできない。
できるのは「足した」経験を、なんとか次の日、次の瞬間のために、
活かす(プラスにする)事だけだ。
posted by 浅谷龍彦 at 23:30| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 解体(心象) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月14日

信じる者は救われる?

スポーツでもなんでも何かで成功をおさめた人が度々口にする言葉が「信じ
てました」とか「信じていれば夢はきっと叶います」というような言葉だ。
それに対して「そんな事は成功したから言えるんだ」と反論する者もいるだ
ろう。確かに、何かの実現を信じて努力した人の全てが、その夢を実現でき
る訳ではない。だが信じて努力しなければ成功しない事もまた事実だ。だか
ら正確には、「信じて努力した者の中の"誰か"が成功を掴む」事ができる、
と言う事になるだろう。そしてより確実なのが、信じ無ければ救われない、
という事だ。
それからテレビのインタビュー等では「なぜ成功を信じ続けられたのでしょ
う?その理由は?」と言う質問が成功者に投げ掛けらる事があるが、その時
に「理由は無いけどなんとなく」とか「根拠は無いんですけど最初から自信
があった」等と言う答えが返される事もまた多い。これは嘘か?それとも何
かを隠しているのか?なぜ彼等、成功した者達は理由も無く信じられるのか?
しかしこの様な疑問は間違った問いである。何か理由があるからそれを信じ
ると言うのは、信じる度合い、信じる"深度"としてはまだ低い。本当に信じ
ているならば理由は不要なのだ!信じるための理由などもはや必要なくなっ
た時にこそ本当に信じているのだと言える。

続きを読む
posted by 浅谷龍彦 at 22:57| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 解体(心象) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月09日

109個目の煩悩?

除夜の鐘は108回、煩悩の鳴らされるそうだが、その108つの中に「煩悩を
捨てたい」と言う煩悩が入っているかどうか、僕は知らない。もし入ってな
ければ「煩悩を捨てたい」と言う煩悩は109個目の煩悩になるのかな?「煩
悩を捨てたい」というのもまた1つの「欲」なのだから。
それから他人の幸福を優先するという「利他主義」があるが、これも他人の
幸福が巡り巡って自分の幸福に繋がるという意味では「利己主義」だし、人
はなにかに追い詰められ強制されない限り、自分になにかしらの「利」がな
ければ行動を起こすモチベーションが生まれないのではないだろうか?と考
えると、究極的には「利己主義」的でない「利他主義」はないんじゃないだ
ろうかと思う。誰かが喜ぶことが自分の喜びになるという感じで。

この前テレビで、日米で「自分は宗教的な人間か?」というアンケートをし
たらアメリカで85%、日本で20%か15%の人がYes.と答えたらしい。でも
日本人の多くは意識していないだけで、実際はかなり宗教的なのではないだ
ろうか?
神様(神なるもの/聖なるもの)に何かを願うこと祈ること、これがたぶん
宗教の基本であり本質だ。だとすると受験の合格祈願などはその最たるもの
ということになるだろう。これをしたことのない日本人はほとんどいないん
じゃないかと思う。ただ日常的には宗教的な戒律を意識せずに生活できるの
で、自覚しないで済ませられるわけだが。またこの宗教意識の希薄さはある
程度多神教に共通するのかもしれない。たとえば古代ギリシアも多神教だが、
今も残る多くの記録、著作物からあまり宗教色は感じない気がする。

続きを読む
posted by 浅谷龍彦 at 00:51| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 解体(心象) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月04日

満足感と罪悪感?

あなたは、なにか自分の目的を達成した後、満足感と同時に罪悪感というか
何か後ろめたいような、気まずい感じを覚えた事はないだろうか?
何か喜びを独り占めしてしまって周りが気になり、少し他の人に分け与えよ
うとした事はないだろうか?
またこれは別な話だが、自分の大好きな物を食べ続けていたら、ある時から
突然ぱたっと食べたくなくなった、という経験をした人はいないだろうか?
どうも欲望が完全に満たされる瞬間とは、当人にとっては”やり過ぎ”に感
じられるように思われる。そして”やり過ぎ”るともうやりたくなくなって、
欲望自体が消えてしまう。

それから人は、平和で安全に楽しく生き生きと幸せに暮らしたいと思うもの
だとも思うが、でもどれくらいだろう?
どれくらい平和で?どれくらい安全に?どれくらい楽しく?
どれくらい生き生きと?どれくらい幸せに?
その基準は人それぞれだし、一人の人の中でも常に一定ではないだろう。
またもちろんそれを100%実現することもできない。
しかし有り得ないが万が一実現してしまったとしたら、その人はたぶん不幸
になる。(笑)
なぜならもうその先には何も望めないのだから。
それは頂点であると同時に停滞点、限界点となる。

ところであなたは勝ってる状況でギャンブルを辞める事ができるだろうか?
僕にはできない。(笑)
ギャンブルを辞められるのは負けた時だけだ。
なぜなら、負けた時に初めて自分の”やり過ぎ”に気付くのだから。
posted by 浅谷龍彦 at 03:53| 千葉 ☁| Comment(6) | TrackBack(0) | 解体(心象) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月04日

心の経済学?

考えるだけなら何でも出来る。
心の中の世界は”なんでもアリ♂アリ♂大失言”状態。
外には出せない、どんなに恥ずかしい想像でもどんなに酷い捏造でも
心の中で考えてるだけなら問題にはならない。どんな不可能も可能になる。
だけど逆に現実とは関係なく不安や恐怖が無制限に膨らんで耐えられなく
なるような事もある。

心と外界との関係は一定ではない。安定せず、流動的で不安定だ。
同じ出来事があっても、それが心に与えるインパクトは同じとは限らない。
強くもなれば弱くもなる。良くも感じたり悪くも感じたりまちまちだ。
いったい人の心は何を良い(プラス)と感じ、何を悪い(マイナス)と感
じるのだろうか?

どうも人の心は嫌な事や失敗した事があっても、心の中でそれを何とかプ
ラスとして処理しようとする傾向があるような気がしてならない。
だとすれば、どうやって心はマイナスをプラスに変えるのか?
例えば「失敗から学ぶ」という考え方。
これは失敗というマイナスを次のプラスの基礎と意味付けを変えることで、
失敗自体があたかも成功の一部であるかのように受け入れるやり方である。
今はちょっと思い出せないが他にもやり方はいろいろあるだろう。

心の中ではなんでも可能だ。ただし”タダ”ではない。
心も使うにはエネルギーがいる。
とくに事実を否定するような世界を心の中に構築しようとする場合には
心的エネルギーの燃費が悪くなる傾向があるような気がする。
心と外界の関係は確かに安定しない。それに決して無関係でいられる事も
ない。
タグ: heart
posted by 浅谷龍彦 at 19:14| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 解体(心象) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする