2008年02月24日

信用なんて要らない?

なんで人を信用する必要があるのだろうか?
別に人を信用しないでも生きて行けるのではないだろうか?
だがそうは行かない。(笑)

まず生まれて暫く、赤ちゃんの時には自分で身動きが取れない訳で、母親を信じて
食事や世話をしてもらわなければ生きて行けない。人間はその成長の初期に在って
他者を全面的に信用せざるを得ない状況に置かれてしまうと言えるのではないだろ
うか?

人が人を信用するのは決して人を信じたいからではないだろうと思う。そうではな
く、信用するしかない状況に置かれてしまっているから、仕方なくそうするのだと
思う。もし本当に人を信じないと言う事ならば、全部自分一人だけで何でもやる事
になる。人を信用しないのだから、何か生活に必要な物も全て自分で調達し用意し
て暮らして行く事になる。それは完全自給自足の自己完結した自己責任の世界だ。
だが多くの人が同じ場所に暮らす社会ではこんな生活は無理だろう。無人島みたい
に社会から隔絶された状況にならない限り。

ところで、この人を信用しようとしない者とは、実は全てを自分一人で手に入れよ
うとする略奪者と同じ指向を持つ者であるように思われる。一方は自己の維持を、
他方は自己の、それも自己のみの拡張を目的としているが、両者とも自己以外に何
も関心がないと言う点で共通しているからだ。
だが前にも書いたように複数の人間が存在する社会では必ず独り占めは挫折する。
自分の取り分を維持しようとするならば周りに取り分を分配せざるを得ない。
自分一人で生きようとしても社会の中では他人の干渉を受けずにはいかない。
両者とも自分の取り分を維持するのに、人を信用するか信用させるかしなければな
らない。

その言動を受け入れると言う事は、その人の存在を受け入れると言う事だろうか?
その人の存在を受け入れると言う事は、逆に自分の存在をその人に預けると言う事
になるのではないだろうか?
posted by 浅谷龍彦 at 23:58| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 思索(自由) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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