2007年12月20日

略奪と贈与?

略奪者が仲間を作り始めると、それは拡大の一途を辿る。
集団を維持する為には分配し続けなければならず、その為には新たな略奪
物が必要になる。こうして集団の膨張が始まり、対抗する別の集団に出会
うまで拡大し続ける。そうして何時しか複数の集団が隣接し、地上は人の
支配する土地、国家に覆われて行く事になる。

だがそれでも、人が住んだり、管理、支配するのに難しい場所は残され、
そこでは権力の強制力が弱かったり、及ばなかったりする。
例えば砂漠だったり海がそう言う場所であり、もしそういう所を支配しよ
うとすれば、多くの人員、物資、つまりコストが掛かり、とてもその支配
を維持する事が不可能である。
このような場所は権力の外にある世界であり、権力から逃れた者を含むあ
らゆる者が行き来する事が可能な場所になる。もちろんそれは危険を伴う
が、同時にその危険が権力からの安全を保証してくれるものともなる。
つまり自然の危険が人の危険を遠ざけてくれる。
(盗賊、海賊がいたりするけど)
こうした場所を利用して、多くの人々が交流し、交易する。
ここでもまた略奪(支配)への諦め(限界)が交換の空間を準備すると言
えると思う。また略奪(支配)の諦めと言う点では、遠い地域には侵略せ
ずに交易するという場合もある。隣接する地域なら侵略後の支配も本国の
延長で可能であろうが、更にその先の地域となると継続して支配するには
反乱が起こり易く、やはりコストが掛かって割りに合わないからである。

隣接し、拮抗した集団や国家は互いに物を送り合い、絶えず互いに敵意が
無い事を確認し続ける。何の交流もせずに互いに認め合うと言う事は不可
能なのだろう。何も交流しないと言う事は相手に対する猜疑心を生む。何
もしないと言う事は、何をするか分からないと言う事に転化する。交流は
互いに侵略の意志が無い事の確認行為となる。この行為を止める事は、侵
略の意思があると看做されかねない。また逆に、他方の贈り物に返礼でき
ない場合は、自陣営の経済的な劣勢、敗北を表し、その権威を損ね、暗に
従属を意味するようになる場合もある。
どちらにしても、ここでの物のやり取りは交換というよりも牽制のし合い、
冷戦のような状態と言った方がいいだろう。どんなに友好的に交流してい
るとしても、ここにあるのは略奪の諦めとしての交換ではなく、潜在的な
略奪の意志の持続である。
ラベル:自由 FREEDOM
posted by 浅谷龍彦 at 00:49| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 思索(自由) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。