2007年09月09日

遺産分割と労働者?

トクヴィルは『アメリカのデモクラシー』の第2部第10章(P312-P313)で
 『財産の不平等な分割が南部に支配的だったころ、家々は労働を好まぬ
  という以上にその必要を感じない一人の裕福な男にそれぞれ代表され
  ていた。彼の周囲には、法律によって共通の遺産から予め排除されて
  いる家族成員が、ちょうど寄生植物のように、同じような生活を送っ
  ていた。(中略)合衆国の南部では白人人種全体が貴族団体を構成し、
  その先頭には恒久的な富と先祖伝来の暇に恵まれた一定数の特権的個
  人が存在した。アメリカのこの貴族のこの長たちは、彼らが代表する
  団体の中で白人人種の伝統的偏見を永続させ、無為の生活の栄光を守っ
  た。この貴族集団の中部にも貧乏人は見つけられたが、労働者は見つ
  けられず、貧困の方が仕事に就くよりましとみなされた。黒人の奴隷
  労働者は、だから競争相手をもたず、その仕事の効率をどう考えるに
  せよ、彼らしかいなかったのだから、これを雇うほかはなかった。
  長子相続法が廃された瞬間から、あらゆる財産は一斉に縮小し始め、
  すべての家族が同じ動きに巻き込まれ、生きるためには働かねばなら
  ぬ状態に近づいた。(中略)そこで人は、かつて労働を蔑視していた
  偏見を一致して捨て始めた。以前より貧乏人は多くなり、貧乏人は恥
  じることなく生活手段の追求に打ち込めた。かくして平等な遺産分割
  のもっとも手近かな帰結の一つは、自由労働者の階級をつくり出した
  ことであった。自由な労働者が奴隷と競争を始めたその瞬間から、後
  者の不利が意識され、奴隷制はその原理において、つまり主人の利益
  の観点から攻撃を受けた。』
と書いとります。

「働くのは当たり前」という思想は当たり前ではないってことやね。
ヴェーバーが、プロテスタントとカトリックの間に見た労働観の違いにも
対応するお話かな。
またアメリカの奴隷制が、道義的な理由だけで廃止されえた訳ではないっ
てことやね。
ラベル:自由 FREEDOM
posted by 浅谷龍彦 at 01:13| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 思索(自由) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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