2007年09月02日

労働者と奴隷?

トクヴィルは『アメリカのデモクラシー』の第2部第10章(P306-P310)で
 『インディアンがいみじくもオハイオ、すなわち美しい川と呼んだその
  川は、かつて人が住まいとした中でももっとも壮大な河谷をその水で
  潤している。(中略)オハイオ川の流れが刻む限りない蛇行に沿って
  左岸の州はケンタッキーと呼ばれる。もう一つの州はその川自体から
  その名をとった。二つの州の相違はただ一点にのみある。ケンタッキー
  は奴隷を許容し、オハイオ州はこれをすべて拒否したという点である。
  (中略)
  オハイオ川の左岸では、労働は奴隷制の観念と混同されている。右岸
  では安楽と進歩の観念と一体である。かしこではそれは不名誉だが、
  こなたでは称賛の的である。その川の左岸では白人人種に属する労働
  者は見つからない。いたとしても、彼らは働いて奴隷に見られるのを
  恐れるであろう。黒人の労働に頼るほかはない。右岸では閑人を探そ
  うとしても無駄である。白人は活力と知力を傾けてあらゆる仕事に手
  をのばす。(中略)

  たしかにケンタッキーでは、主人たちは奴隷を働かせても賃金を払う
  義務はないが、奴隷の労働からはほとんど成果が引き出せない。これ
  に対して、自由な労働者に金を与えれば、それは生産物の値段に利息
  付きで戻ってくるであろう。自由な労働者は有給だが、奴隷より仕事
  が速い。そして迅速な実行は経済の重大要素の一つである。白人は労
  力をを売りに出すが、人がこれを買うのはそれが役に立つときだけで
  ある。黒人は奉仕の代償を何一つ要求しないが、主人は彼をずっと養
  わなねばならぬ。(中略)主人が奴隷の保持のためにする金の消費は
  少しずつ、細々と続き、なかなか気づかない。労働者に支払う賃金は
  一時に出ていき、受領者を豊かにするだけのように見える。だが実際
  には、奴隷の方が自由な人間を雇うより高くつき、奴隷の労働の方が
  生産性が低い。(中略)

  奴隷制の影響はさらにその先に及ぶ。それは主人の魂自体の中にまで
  浸透し、彼の思想と好みにある特殊な方向づけを与える。(中略)
  左岸のアメリカ人は労働を蔑むだけでなく、労働が成功をもたらす事
  業はすべてこれを軽蔑する。無為にして裕福な生活の中で、彼は閑人
  の趣味を身につける。彼の目には金銭も半ばその価値を失う。財産よ
  りも興奮と快楽を追い求め、隣人が別のことに費やすエネルギーをこ
  の方面に注ぎこむ。狩猟と戦争を情熱的に愛し、肉体のこのうえない
  酷使に喜びを感じる。武器の使用に慣れ、子供の時から一対一の決闘
  に命をかけることを学んでいる。したがって奴隷制は、白人が金を儲
  ける障害になるだけではない。金儲けから別のことに気を逸らしてし
  まうのである。』
と書いとります。

自分も繁忙期に長時間労働、休日出勤などを繰り返してると「俺は奴隷か
?」と思うことがあるが、やはり労働者と奴隷は違うわけで、自分自体を
売ってるわけではなく自分の労働力を売ってるのだが、この「労働力」と
いうサービスを提供する商品は自分自身の身体と切離して売ることができ
ないため、どうしても同時に身体が拘束されるので、自分自身を売り渡し
た感覚になってくる。
ラベル:自由 FREEDOM
posted by 浅谷龍彦 at 02:18| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 思索(自由) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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