まだ妻が居なくなった喪失感のようなものは感じません。今までいつも妻のことを考えながら生活していたので、その習慣が体からまだ抜けておらず、妻のことを気にしなくていい生活に違和感を感じている状態です。
これは自分の想像ですが、人が幽霊や亡霊と言ったものを信じる、あるいは否定しきれないのは、今自分が感じるような、故人はもう居ないのに何か故人がまだいるような感覚、習慣が抜け切らない状態があるからではないかと思い当たりました。
昔の人は現代人よりも想像力が豊かだったでしょうから、このような感覚を持った時に、人によっては故人が幽霊として亡霊として目の前に見えたのではないか?気配を感じたのではないか?自分の内的な感覚を外部に実体化していたのではないか?自分で自分がこんな事を考えるとは思ってもみませんでしたが、不思議とそんな事を考えました。
また自分は、お葬式など一連の弔いの行事、儀式は故人の死を広く知らしめ、故人に関わる縁、人的ネットワークを故人抜きで再構成して行くプロセスだと考えています。それは人間関係だけでなく、資産など経済的、物質的な物の移管や故人が持っていた組織や社会的地位の権限の移譲を伴う場合もあり、どれもが現世に残ったものを故人から切り離して行く行為なのだと思います。
こう書くと故人に冷たい感じになりますが、こうして故人と残った人々を住み分けないと、後々両方とも不幸になって行くのかもしれません。故人は現世を離れ切れずに彷徨い、残された人々は幽霊や亡霊を見続けるのかもしれません。
ラベル:乳がん
心からお悔やみ申し上げます。
親しくしていただき、ありがとうございました。