2007年05月08日

迷信嫌い?

マックス・ヴェーバーは
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の第2章(P156-P157)で
 『(予定説という)この悲愴な非人間性をおびる教説が、その壮大な
  帰結に身をゆだねた世代の心に与えずにはおかなかった結果は、何
  よりもまず、個々人のかつてみない内面的孤独化の感情だった。宗
  教改革時代の人々にとっては人生の決定的なことがらだった永遠の
  至福という問題について、人間は永遠の昔から定められている運命
  に向かって孤独の道を辿らねばならなくなったのだ。(中略)
  このこと、すなわち教会や聖礼典による救済を完全に廃棄したとい
  うことこそが、カトリシズムと比較して、無条件に異なる決定的な
  点だ。世界を呪術から解放するという宗教史上のあの偉大な過程、
  すなわち、古代ユダヤの予言者とともにはじまり、ギリシャの科学
  的思考と結合しつつ、救いのためのあらゆる呪術的方法を迷信とし
  邪悪として排斥したあの呪術から解放の過程は、ここに完結をみた
  のだった。真のピューリタンは埋葬にさいしても一切の宗教的儀式
  を排し、歌も音楽もなしに近親者を葬ったが、これは心にいかなる
  》superstition《「迷信」をも、つまり呪術的聖礼典的なものが何
  らか救いをもたらしうるというような信頼の心を、生ぜしめないた
  めだった。』
と書いとります。

困った時の神頼み。禁止っちゅうことやね。
タグ:FREEDOM 自由
posted by 浅谷龍彦 at 00:07| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 思索(自由) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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