2013年09月21日

自然状態(9)

ヒュームは社会契約説を否定しているとされる。ヒュームは社会契約説と自
己保存をどう捉えているのだろうか。

ヒュームは「原始契約について」というエッセーで、社会契約説を取り上げ
ている。

ヒュームは社会契約説を歴史的に捉え、過去の歴史において社会契約説が語
るような人民の同意による国家形成など、どこにも記録がないし、記憶も残っ
てはいない、という。

  現に存在している、あるいは歴史のうちになんらかの記録をとどめてい
 る政府は、そのほとんど全部が、権力の奪取かそれとも征服に、あるいは
 その両方に起原を持っており、人民の公正な同意とか自発的な服従とかを
 口実にしたものはない。
 [『世界の名著 27』「原始契約について(P541)中央公論:大槻編]

だが、ヒュームにいわれるまでもなく、社会契約論者の誰も「契約」が過去
にあったのだなどとは主張していない。「自然状態」とは「国家状態」を括
弧に入れ、遡行する事で論理的に構成されうる人間の行動様式の総体である。
歴史的、考古学的に実証しうるものではなく、論理的に考えうるものである。

ヒュームはまず明確な同意、契約の存在を否定する。だが一方で次のように
もいう。

  ここで私が言おうとしているのは、人民の同意が現に存在している場合
 にも、なおそれが政府を支えるひとつの正当な基礎ではないなどというこ
 とではない。人民の同意は、確かに何物にもまして優れた神聖な基礎であ
 る。
 ただ、私が主張したいのは、(中略)政府の基礎は他にもあることが承認
 されなければならない、と言いたいのである。
 [『世界の名著 27』「原始契約について(P544)中央公論:大槻編]

つまりヒュームは、人民の同意が権威の源泉である事は認めるが、それが唯
一ではないのだという。しかもその人民の同意は、国家形成時ではなく、国
家形成後に時間を経て後からやって来るのだと主張する。

国家は力(暴力)で成立し、それに対して人民は服従するが、それは「恐怖
と必要のため」であって、同意したからではない。だが時間が経つにつれ必
要が黙認へと変わりやがて同意となるとヒュームはいう。

  最初の政府は暴力によって樹立され、人民は、必要上それに従った。そ
 して、その後の統治も力によって維持され、人民によって黙認される。そ
 れは人民にとって選択の余地のあることではなくて、どうしようもないこ
 とである。人民には、自分たちの同意が、初めて君主に資格を与えるなど
 とはとても考えられない。にもかかわらず、彼らは進んで同意する。なぜ
 なら、彼らには、君主は長い間権力を保持することによって、すでに、自
 分たちの選択や意向とは無関係に、その資格を得ているように思えるから
 である。
 [『世界の名著 27』「原始契約について(P545)中央公論:大槻編]

実はホッブズもヒュームと同じような事を考えている。ただし歴史的にでは
なく、論理的に。

ホッブズは、国家あるいはコモン−ウェルスには《設立されたコモン−ウェ
ルス》と《獲得されたコモン−ウェルス》とがある、という。
《設立されたコモン−ウェルス》とは、人々の合意によって権力が集約され、
確立される、という通常いわれる社会契約説だが、《獲得されたコモン−ウェ
ルス》は、ある力を持った人物や集団が、その力で権力を確立するという、
ヒュームが歴史的だとする権力形態に対応する。

そしてホッブズはヒュームとは違い、《獲得されたコモン−ウェルス》にお
いても人々の同意が権力と権威の基礎であり、《設立されたコモン−ウェル
ス》とはただ「恐怖」の方向が違うだけだという。

 《設立によるコモン−ウェルスとどこがちがうか》そして、この種の支配
 または主権は、設立による主権と、ただつぎの点でことなる。すなわち、
 自分たちの主権者をえらぶ人びとは、相互の恐怖によってそうするのであっ
 て、かれらが設立するその人に対する恐怖によってではないのだが、いま
 のばあいには、かれらは、自分たちがおそれるその人に、臣従するのであ
 る。どちらのばあいにも、かれらはそれを恐怖のためにおこなうのであっ
 て、このことは、死や暴力への恐怖から生じるすべての信約を無効とみな
 す人びとによって、注目されるべきである。

 [『リヴァイアサン』第20章(P70)岩波:水田訳]

つまり「自然状態」において、《設立されたコモン−ウェルス》が、人々が
互いの「恐怖」(自身の自己保存が脅かされる可能性への警戒)を解消する
ために合意し、設立されるのに対して、《獲得されたコモン−ウェルス》は、
強力なひとりの人物あるいはひとつの集団に対する「恐怖」を解消するため
に、人々が合意し、設立される。どちらの場合にも、設立には人々の同意が
あるのだとホッブズはいう。

ヒュームもホッブズも、力に対する「恐怖」から人々が国家形成を受け入れ
るという点では同じだが、ヒュームはそこに「契約」を認めず、ホッブズは
「契約」があるのだという。

ヒュームはホッブズに対してこういうだろう。力に対する「恐怖」を背景に
した契約など契約ではないと。人々は、合意や同意するのではなく、合意さ
せられ、同意させられるのだと。それは契約ではなく強制だと。

しかしホッブズは「自然状態」においては、「恐怖」によって強制された契
約でも「国家状態」でとは違い、契約は有効なのだという。

 《恐怖によって強要された信約は、有効である》まったくの自然の状態で、
 恐怖によってむすばれた信約は、義務的である。たとえば、私が敵に対し
 て、自分の生命とひきかえに、身代金または役務を支払うことを信約すれ
 ば、私はそれに拘束される。すなわち、それは、一方が生命についての便
 益をえて、他方がそのかわりに貨幣または役務をえるという契約であり、
 したがって、(まったくの自然の状態においてのように)ほかにその履行
 を禁止する法がないところでは、その信約は有効である。

 [『リヴァイアサン』第14章(P229)岩波:水田訳]
posted by 浅谷龍彦 at 18:26| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | State of Nature | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。