『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の第1章(P65-P66)で
賃銀率を引き上げて労働者の「営利心」に訴える方法が成功しな
いならば、その逆の方法、すなわち賃銀率を引き下げて労働者が
以前と同額の報酬を得るためには前よりもよけいの労働を余儀な
くされる、という方法が試みられたのは当然だった。(中略)民
衆は貧しい間だけ、貧しいからこそ労働するのだということは、
幾世紀を通じて信条となっていたのだ。(中略)
しかし、一見はなはだ確実に見えるこの方法の効果にも限界があ
る。たしかに、資本主義が発展しうるためには、労働市場で低廉
な代価で雇用できる過剰人口の存在が必要だ。けれども、そうし
た「予備軍」があまり多きにすぎる場合には、資本主義の量的な
拡大は促進されることがありえようが、その質的な発達、とりわ
け労働を集約的に利用しつくせるような経営形態への移行はむし
ろ阻害される。賃銀が低いということと労働が安いということは、
決して同じでない。』
と書いとります。
つまり賃銀が高くても、その労働者の生産性がそれ以上に高ければ、
利益は出るってことやね。
低賃銀は当面の利益確保にしかならない?
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