2013年03月31日

自然状態(7)

柄谷行人は『探究2』の自然権という章の中で、いつもの語り口で、スピノ
ザを持ち上げるためホッブズに否定的に言及している。曰く「ホッブズとち
がって、スピノザは国家に対してどの人間も、全面的に「自然権」を譲渡す
ることはありえないという。」

しかしこの柄谷のホッブズに対する認識が、通り一遍の皮相なものだという
よりも、ホッブズをスピノザの対立項に仕立て上げる必要に迫られた、論述
上の都合によるものだという事に注意する必要がある。

『リヴァイアサン』をまともに読めば、先の認識は「ホッブズとちがって」
ではなくは「ホッブズにならって…」か「ホッブズと同様に…」なるはずだ。
この章で引用されているスピノザの思想とホッブズのそれとの間には、柄谷
がいうような対極性や違いはない。ホッブズが自然権の全面的な譲渡を否定
していた点については、前回の投稿内容を読んでもらえれば確認していただ
けると思う。

ここからは余談だが、『探究1』、『探究2』での柄谷はスピノザに対してホッ
ブズを否定的に扱ったように、ウィトゲンシュタインやデカルトに対してカ
ントを否定的に扱っている。しかし柄谷は『探究3』から一転してカントを
肯定的に、しかも『探究1』、『探究2』でカントに対してウィトゲンシュタ
インやデカルトを持ち上げたのと同じ理由で、カントを取り上げ始める。

その言い訳が「探究3」の連載(第二回)にある。
「『探究1・2』において、私は、ほとんどカントに対して否定的に言及して
いる。あれほどデカルトをデカルト主義の通念から守ろうとしているにもか
かわらず、カントにかんしては、ほとんど通念に従ったことを認めなければ
ならない。今私が試みたいのは、いわば、そうした読解をカント自身に振り
向けることである。」

この告白が真実であるならば、柄谷が否定的に扱う思想家達については、そ
の否定性を疑ってかかる必要がある。すると当然、肯定的に扱われている思
想家達の肯定性にも疑いが及ぶ。だから柄谷の著作は全て注意深く読まなけ
ればならない。

柄谷はまた、「探究3」の連載開始冒頭では次のように書いている。
「『探究』の連載を終えたのは一九八八年の秋である。(中略)以来四年も
経ってしまった。当初、ホッブス、つまり法と国家の問題について、あるい
はマールブランシュ、つまりオケイジョナリズムの問題について書くつもり
でいた。」

しかし、カントについては「探究3」以降も『トランスクリティーク』、
『世界共和国へ』などで独自の読解を続けている柄谷だが、ホッブズについ
ては今も相変わらず通念通りの読解を繰り返している。
posted by 浅谷龍彦 at 14:49| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | State of Nature | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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