2007年02月12日

分業と能力差?

アダム・スミスは『国富論』の第1編第2章(P37-P42)で
 『分業は、もともとは、それが生みだす全般的富裕を予見し意図す
  る人間の英知の結果ではない。それは、そのような広範な有用性
  を考慮していない人間本性のある性向、すなわち、ある物を他の
  物と取引し、交換し、交易する性向の、きわめて緩慢で漸次的で
  はあるが、必然的な結果なのである。(中略)
  さまざまな人の生まれつきの才能の違いは、実際には、われわれ
  が意識しているよりもはるかに小さいのであり、成人したときに、
  さまざまな職業の人たちを隔てるようにみえる大きな資質の相違
  も、分業の原因であるよりは、むしろ結果である場合が多い。(中略)

  取引し、交易し、交換するという性向がなかったならば、人はみ
  な自分の必要とするどの生活必需品も便益品も、すべて自分で手
  に入れたに相違ない。万人が同じ任務を遂行しなければならず、
  同じ仕事をし、これだけで大きな才能の相違を生むほどの仕事の
  差というものはありえなかっただろう。(中略)
  人間のあいだでは、もっとも似たところのない資質こそ有用なの
  であって、彼らのそれぞれの才能のさまざまな生産物が、取引し、
  交易し、交換するという一般的性向によって、いわば共同財産に
  なり、そこからだれもが他人の才能の生産物のうち自分の必要と
  するどの部分でも、買うことができるのである。』
と書いとります。

つまりある仕事に特化し、専門化していくことによって各人の能力に
大きな差が生まれ、プロフェッショナルになっていくっちゅうことや
ね。選択と集中ってことかな?
ラベル:自由 FREEDOM
posted by 浅谷龍彦 at 04:54| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思索(自由) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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