2013年01月31日

自然状態(6)

カントは「世界市民という視点から見た普遍史の理念」という論考の中で、
人には非社交的な社会性があるという。非社交的社会性とは、他者と対立し、
孤立し、社会の形成に抵抗する傾向の事だとカントはいう。

またカントは、この非社交的社会性こそが人々を互いに競合(闘争)に仕向
け、それによって人類が発展してきたのだという。人に非社交的社会性がな
く、ただ社会性だけがあり常に調和的であったなら、その状態のままに留ま
まり、牧歌的で何の変化も発展もない生活が続いたであろうという。

このカントのいう非社交的社会性が、自己保存の法則である自然権を意味し
ているのは明らかである。カントはあくまで「自然状態」ではなく、国家状
態、社会状態、市民状態の内での人の傾向をいっているのだが、それがホッ
ブズのいう「自然状態」を元にしているのは間違いない。

非社交的社会性とは、国家状態内での自然権の事である。国家生成の際に譲
渡される自然権だが、それが各人から完全に譲渡され得るものではない。
自然権は人の生きる欲求、自己保存の法則だから、人がその欲求を消し去る
という事は、死か廃人を意味する。だから、国家生成の際に自然権を譲渡す
るといっても完全な譲渡などは有り得ず、部分的な譲渡となる。部分的な譲
渡とは自然権の抑制、抑圧の事だ。

ホッブズも、《人が、かれ自身を防衛しないという信約は、無効である》と
いう見出しのある節で、「自分自身を死と傷害と投獄からすくうという権利
を、譲渡または放置することはできない」と言い、国家状態内においても自
然権が残る事、逆に言えば自然権の完全な譲渡は不可能である事を語ってい
る。

そもそも自然権、自己保存の欲求の抑制がかえってそれらの確保を確実にす
るからこそ、人は「自然状態」から国家状態へと移入するのだから、自然権
を失うような事を自ら望むはずもない。

自然権の完全な譲渡とは自己保存の放棄であり、生きる欲求の喪失である。
posted by 浅谷龍彦 at 00:34| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | State of Nature | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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