2012年09月20日

自然状態(4)

だが国家の生成に話を進める前にもう少し「自然状態」に留まろう。
「自然状態」を想定する事で見えて来るのは人が生きるための2つの法則だっ
た。1つ目は、人は自然権の行使によって自身の命を保つ、という自己保存
の法則であり、2つ目は、その自然権の全面的な行使がかえって自己保存の
法則にとって不利益となる、という逆説だった。

ここでは、自然権の全面的な行使がかえって自己保存の法則にとって不利益
となる、という逆説について反対から見てみる。今度は、欲求の拡大を継続
して行くためには富の独占を諦め、分配を拡大して行かなければならなくな
る事を示す。つまり、自然権行使の部分的な断念が欲求の拡大を可能にする。

「自然状態」において、もの凄い強い人がいて、略奪の限りを尽くして色々
な物を手に入れていたとしよう。彼は片っ端から欲しいものを手に入れる事
が出来、実行して行った。だがやがて彼は一人で手に入れられるもの量の限
界に達する。奪うだけではない。奪ったものを維持、守る事もしなければな
らない。一時的に奪ってもすぐに奪い返されては手に入れたとは言えない。

そうすると当然一人で手に入れられるものには限界が来る。それに一生とい
う長いスパンで見て、彼は死ぬまで年中無休で24時間戦い続けられるだろう
か?若いうち、体力のあるうちはいいが年老いてもなお戦い、生き残れるか?
彼は他人から物を奪い続けられるだろうか?

もし彼が人間であるのならそれは無理だろう。まず人間なら寝ないといけな
い。だが略奪を繰り返していれば当然略奪の被害にあった人達も多いはずで、
その多くは彼を恨む敵となっていることだろう。細心の注意を払って寝ない
と、寝首を掻かれる恐れが出て来る。

ここで彼は二つの理由から独占を諦める必要に迫られる。一つ目は、一人で
手に入れられる量の限界を超えて奪い続けるために、二つ目は、奪った物を
守り維持するために、「仲間」を作らざるを得なくなるから。

「仲間」を作るという事は、「仲間」になる奴からは何も奪わない、奪えな
いと言う事になる。でなければ誰も「仲間」になってくれはしない。
だから「仲間」を作る必要が出て来た段階で、誰からでも奪い続けると言
う事は出来なくなる。更に「仲間」を作ったら、それ以降、略奪物を分け与
えなければならなくなる。それも「仲間」が納得するだけの物を分けないと、
今度は裏切られて「仲間」に寝首を掻かれかねない事になる訳で、増々自分
の取り分を削らなくてはならない状況に追い込まれて行く。

だからこの強者は獲物からの自分の取り分をどんどん減らして行く事になる。
だが、獲物が大きくなれば取り分の割り合いは減っても、一人で奪う以上の
量の獲物を得られる事になる。

これはだが、奪い取る事だけでなく、何かを採るのでも作るのでも変わらな
い。結局一人で得られる物を超えて更に何かを得ようとすれば、誰かと協力
しなければならず、協力するからには得た物を分け合い、分配せざるを得な
くなる。

つまり「各人の各人に対する戦争」そのものが、ある種の共同性をもたらす
事になる。各人の欲望が各人の肉体的条件の限界を乗り越えようとする時、
必然的に他者との共同が立ち現れる。

しかしここで現れる共同体はまだ「国家」ではない。「国家」とは、奪う者
達の共同体と奪われる者達の共同体とが統合されて形成されるものだから。
posted by 浅谷龍彦 at 00:07| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | State of Nature | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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