2012年06月19日

自然状態(3)

「自然状態」に生きる人々は、それぞれの能力だけを頼りに自然権を互いに
行使し合い暮らしている。だがそれは常に奪い合い、争いあっている状況を
意味する訳ではない。重要な事は、争いなどを抑制し、調停しうる機構がな
く、争いの終結が見込めない状況にある。ホッブズもいうように「自然状態」
とは「たんに戦闘あるいは戦闘行為にあるのではなく、戦闘によってあらそ
うという意志が十分に知られている一連の時間にある。」事をいう。

しかし、争いを抑制、調停する機構がなくとも、人々は互いに争いを回避す
る場合もある。奪い合いや争いが当事者双方の利益を消失させ、消耗させる
とわかった場合、つまり互いが自身の自然権を行使する事がかえって、自身
の生存に対して不利益になるとわかった場合には、自然権の行使をやめ、次
のような自然法に従い、共存を選択する。

その自然法とは「あなたに対してなされるのを欲しないことを、他人に対し
てしてはならない」あるいは「他人が自分に対してしてくれるように、あな
たがともめるすべてのことを、あなたが他人に対しておこなえ」という教え
である。

(ここには1つの逆説的な認識がある。それは、自己保存のためにはかえっ
 て自然権の行使を抑制した方が有利だという認識。全面的な自然権の行使
 が自己保存にとって不利益となる逆説。)

「自然状態」において、先の自然法が人々の間で貫徹されるのなら、そこに
は平和が約束されるだろう。しかしながら誰が自然法を尊重し、誰が無視す
するかは、出会うたびに互いに確認し合わなければわからないのが「自然状
態」という状況だ。「国家状態」=「社会状態」でなら互いが守る法=ルール
が前提としてあり、人々が出会うたびに法の尊守を確認し合う必要はない。

そこでホッブズは、人々が各人の自然権を譲渡し、その力(権力)で秩序を
創造する主権者を想定する。その主権者によって創造された秩序こそが、国
家(StateあるいはCommon-wealth)でありリヴィアサンである。
ラベル:自然状態
posted by 浅谷龍彦 at 23:39| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | State of Nature | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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