2011年08月26日

3.11 その1

備忘録も兼ねて、東日本大震災当日の自分の行動をブログに
残しておこうと思って書きました。
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震災の日、いつも通り墨田区あたりで仕事していた。いい天
気だが寒い日だった。午後3時前、最初の地震が来た。
その揺れは今まで仕事中にあった地震の中で一番強かった。

仕事場はビルの14階にあり、地震がおさまった後も、ビルは
数分間ゆっくりと大きくきしみながら揺れていた。だが机の
上の物が落ちたりする事はなかった。そこですぐ同僚がYahoo
の地震情報で震源宮城沖、宮城震度6強、M7.9というのを見
つけ、2人で「震度6強、M7.9って、すごいことになってるん
じゃねえか?」と話し合った。ようやくビルの揺れがおさまっ
た頃、また同じくらいの地震が来た。これは今までの地震と
は違うと思い、すぐに妻の安否を確認しようと携帯で電話し
たが、既に繋がらない状態になっていた。メールも送れない。
何度か繰り返したが変わらなかった。

このビルでは2、3ヶ月前に避難訓練をしていたので、何か指
示があるかと思ったが、何もなかった。誰もが仕事にならず、
外の様子を見たり、ネットの情報を見たり、ワンセグでテレ
ビニュースを見て、話し合い、状況の推移をうかがっていた。
最初の地震から20分ぐらい過ぎた頃か、ようやくビルの防災
担当から館内放送があった。内容は「エレベータ停止。ビル
の外壁が剥がれ落ちている。外よりビル内の方が安全。だか
ら今の場所で待機。」だった。

待機になったが、たびたび余震も来るため仕事にはならず、
この後どうするか、など同僚達と話し合っていた。そうして
る間にビルの東側、遠く千葉市の辺りで炎が上がっている事
に誰かが気付き、みんなが窓際に集まってその様子を眺め始
めた。このビルの東側からは、新木場公園のブリッジ、葛西
臨海公園の観覧車、幕張のビル群などが見え、そのまた先に
炎が上がっていた。しばらく見ているとみんな飽きたのか、
窓際から離れて行った。そして数十分後に見た時には既に炎
は見えなくなっていた。

この間、妻に連絡しようと携帯で電話したり、メールを送ろ
うとしていたが、やっとメールが一回送れた。だが、その後
トイレに行って、再び携帯を使おうとしたらスリープ状態か
ら復帰しなくなっていた。
posted by 浅谷龍彦 at 00:15| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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