2010年11月07日

『世界史の構造』を読みながら

★これはTwitterでのつぶやきをまとめたものです。
★アカウント:@TatsuhikoAsatan

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柄谷行人の『世界史の構造』を読んだ。70、80年代にあれ程、物語、構造主義
批判を繰り返した人が、今なぜ「世界史」の「構造」なのか?
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歴史小説としてなら『世界史の構造』は面白い。
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柄谷行人が援用するカントの「他者を手段としてのみならず同時に目的として
扱え」という言葉を、柄谷の『探究1』、『探究2』の議論に直せば、「他者を
一般的にだけでなく普遍的に扱え」あるいは「他者を特殊性としてだけでなく
単独性として扱え」となる。
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だが、他者を手段として扱うとは具体的にどういう行為で、他者を目的として
扱うとは具体的にどういう行為なのか?
それほど明確にはなっていない。特に手段/目的の境界について、注意深く考
えなくてはならない。
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ではカントの言葉自体は、手段の側にあるのか、それとも目的の側にあるのか。
この言葉自体は手段の側にあるのだろう。でなければ「他者を目的として扱え」
だけ済むはずだ。
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一体、「他者を目的として扱う」とは具体的に何で、そこにどんな困難があ
るから、同時に手段として扱うことが許容されるのか?
解釈によっては、議会制民主主義+産業資本制をそのまま肯定するだけの言
葉になってしまう。
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「他者を目的として扱う」ことの困難について書かれたのが『探究1』、
『探究2』だといえる。
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尖閣諸島付近での中国漁船衝突と船長逮捕を巡る中国側の対応にこそ、柄
谷氏のいう相対的な他者の「他者性」が現れている。氏なら、この「他者」
とどう対話しようとするのか、聞いてみたいところだ。
それとも国家は「括弧に入れる」のか?
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複雑に錯綜し、対立する利害の中での交渉や商談にこそ、「他者」との対
話があると思うが、柄谷氏はこれをもdialogueではなく、monologueと
するのだろうか?
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ラベル:柄谷行人 Karatani
posted by 浅谷龍彦 at 17:50| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 呟き(吐息) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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