2010年07月31日

必要(1)?

「必要は発明の母」、英語では"Necessity is the mother of invention."という
格言があるが、これはどこまで本当だろうか?

たとえばSONYのWALKMAN。WALKMANが発売されるまで、一体誰が、移動中
に音楽を聞く「必要」を感じていただろう?
発売当時、俺は小学生で、同級生の一人が遠足に持って来ていて羨ましかったの
を覚えているが、今ではipodや携帯電話での再生を含めて、何かしらのポータブ
ルオーディオプレーヤーを携帯しての移動が完全に普及し、日常化している。
世界中でこれほどまでに需要がありながら、WALKMAN発売以前にポータブル
オーディオプレーヤーの必要性が訴えられた事はあったのだろうか?
WALKMANに限らずテレビもラジオも、それらが登場する以前からその必要性が
唱えられていたとは思えない。
まあWALKMANやテレビは娯楽に関するもので、生活上の必要性という意味では
低い方になると思われ、そもそも「必要」とは関係が薄いのかもしれないが。

では逆にどういう「必要」が「発明の母」となって来たのだろうか?
一番妥当だと思われるのが薬(医療)に対する「必要」だ。確かに薬(医療)の
発明、発見、改良、開発は古代から「必要」とされて来たに違いない。例えば風
邪に対する特効薬などは、研究され続けているにもかかわらず未だに開発されず、
その「必要」が存在し続けている。

だが、どうも多くの場合は、ある製品や発明品が開発されると、その後から、そ
の品の有用性が認められ、普及し、やがてその品が生活の中に溶け込んで、なく
てはならないもの、「必要」な物になって行くようである。
つまり発明こそが「必要」の母ではないのか?
posted by 浅谷龍彦 at 12:40| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 思索(自由) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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