2008年11月09日

スラヴォイ・ジジェクと柄谷行人?

柄谷行人は『探究1』で、「他者とのコミュニケーション」における「他者」の例
として子供、外国人など自国語を理解しない人を挙げているが、その他にも精神に
異常があるとされる人などもその例に加えている。それはフロイトが始めた精神分
析が精神異常の人との対話を治療の手段としており、そこに「他者とのコミュニケー
ション」を見ているからだ。

フロイトの始めた精神分析は、分析の対象者、被分析者が連想する言葉の中から、
その人の心の構造を読み取っていってその問題の仕組みを明らかにしようとするも
のである。その分析過程で重要になるのが「感情転移」という状態を作る事にある。
「感情転移」とは、あるものに対する感情移入とか同一化、「思い入れ」を起こさ
せるような事をいい、要するにそれは被分析者に分析者を恋させる状況を作り出す
事をいっている。(疑似恋愛というのかな?)

フロイトがヒステリー、強迫的ノイローゼと呼び、日本では神経症などと呼ばれて
来た問題を抱える人達を分析するに当たって「感情転移」を利用するのは有効な手
段となっていた。ところがどうしても「感情転移」を起こせない人達がいて、フロ
イトはこの人達の前では精神分析が無力であると認めていた。そしてこの人達の病
名をナルシシズム的ノイローゼとしていた。日本では統合失調症といわれ、英語で
はスキゾフレニアと呼ばれる病気の事である。

柄谷行人は、このスキゾフレニアとの対話−というよりは対話の失敗−に精神分析
の「他者」を見出して注目し、何度となく言及している。これに対して、スロベニ
ア(旧ユーゴスラビア)出身の思想家スラヴォイ・ジジェクは、「フロイトに還れ」
と主張したフランスのジャック・ラカンの思想を映画や小説、あるいは政治情勢や
社会状況に適用して、そこにある精神構造を明きらかにして見せる思想家だが、し
かしその分析はほとんど、どこにどういう形で「感情転移」があり、それがどうやっ
て生成され破綻するかを説明しているようなものとだといっていい。なので僕が読
んだ範囲では、ジジェクはその著作の中でヒステリーや強迫的ノイローゼについて
頻繁に語るが、逆に精神分析の「他者」であるスキゾフレニアについてはほとんど
言及がない。

ジジェクにとって「感情転移」が分析の「鍵」だが、柄谷にとっては「感情転移」
は「共同体」の「徴」になる。
posted by 浅谷龍彦 at 20:40| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 思索(自由) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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