2009年10月23日

足し算?

死ぬまで生きる。ただそれだけ。
「なぜ自分は生きてるのか?」そんな事を考えるには、既にある程度生きて
いなければならない。

生まれたばかりの赤ちゃんにとって、その1分、その1時間、その1日が人生
の全てである。ところが2日経つと、その赤ちゃんにとって、1日が人生の中
に占める割合は半分になる。3日経つと3分の1、4日経つと4分の1と、
どんどん人生に占める1日の重みは小さくなって行く。
そうしてどんどん年を取って行くにつれ、1日の重みは小さくなって行き、
1日が、1年が、10年が、「あっ」と言う間に過ぎて行くようになる。

人生は「足し算」である。
1度経験した(足した)出来事を消す(引き算)事はできない。
できるのは「足した」経験を、なんとか次の日、次の瞬間のために、
活かす(プラスにする)事だけだ。
posted by 浅谷龍彦 at 23:30| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 解体(心象) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月05日

乳癌について Vol.14

去年の8月に検査をしてから1年が経ち、9月になってまた妻は検査を受ける事
になった。今回も超音波、骨シンチ、マンモグラフィー、血液、レントゲン
CT、MRI、肝臓の超音波などの検査を行った。

結果はどれも正常で、なにも問題はなかった。再発の兆候はない。
ただ胆嚢に3mmのポリープが見付かった。しかしこれは、1cmになると切る
必要も出て来るが、消える事もあり、気にする必要はないとの事だった。
当然だが、検査してからその結果がわかるまでの間、妻は少しナーバスになる。
だが、正常という結果を聞いて安心したようだ。

次回の検査はまた1年後。
そして今回も先生の首を絞めずに済んだ(笑)。
posted by 浅谷龍彦 at 01:48| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月07日

単独性?

ある場所に多くの人がいたとしても、その人達を一人、二人と数えてはいけない。
そもそも”人間”という概念(集合)が成り立たないのだから。

柄谷行人は『探究2』のP9-P10で
 『私は十代に哲学的な書物を読みはじめたころから、いつもそこに「この私」が
  抜けていると感じてきた。哲学的言説においては、きまって「私」一般を論じ
  ている。それを主観といっても実存といっても人間存在といっても同じことだ。
  それらは万人にあてはまるものにすぎない。「この私」はそこから抜け落ちて
  いる。(中略)
  といっても、私がこだわってきたのは、「私」のことではない。また、「この
  私」が特殊であるといいたのではない。私はすこしも特殊ではない。私は自分
  がいかにありふれているかを知っている。それにもかかわらず「この私」は他
  のだれでもないと感じている。肝心なのは、「この私」の「この」の方であっ
  て、私という意識のことではない。(中略)
  私はここで、「この私」や「この犬」の「この」性 this-ness を単独性
  singularity と呼び、それを特殊性 particularity から区別することにする。
  単独性は、あとでいうように、たんに一つしかないということではない。単独
  性は、特殊性が一般性からみられた個体性であるのに対して、もはや一般性に
  所属しようのない個体性である。』
という。

ここで柄谷は、「私」を一般性(集合)の中の特殊性(要素)と見るような視点と
は別な視点を語っている。「私」を特殊性/一般性の枠の中で扱わないとすれば、
つまりは、数学や論理学の対象として扱わないのであれば、「私」は取り替えの効
かない、比較不能な、還元されえないものとなる。なぜなら一般性(集合)を前提
にできなければ、「私」と別の「私」を比較することはできないし、なにかの一般
的な概念に還元することもできず、「私」の代わりを誰か別の「私」がするなどで
きるはずもないのだから。
そのように「私」を捉えるために柄谷は、特殊性/一般性という概念に対して単独
性という概念を対置する。

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posted by 浅谷龍彦 at 22:07| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 思索(自由) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月16日

数える事?

人は何かを、それ”そのもの”をそのまま捉える事はできない。たとえば人は、み
かんを指して、みかんは、黄色い、酸っぱい、軟らかいなどと特徴を並べ上げて説
明するが、ここで既に、みかん”そのもの”ではなく、みかんを、みかんが持って
いるいくつかの特徴(色、味、触感)に還元して説明しているのであり、この特徴
への還元がニーチェのいう単純化、図式化だ。つまり普段、人が具体的だと思って
いる概念がすでに抽象化の結果なのだ。

また人は簡単にもの(物、者)を数える。石が1つ、2つ。人が一人、二人...と
いうように。この数えるという行為自体は簡単だ。けれども、そこに働いている思
考はそれほど単純ではない。
何かを数えるには、まずその数える対象が同じもののグループに属している、とい
う認識が必要になる。数学的にいうと同じ集合に属するという事になる。
たとえば河原にいっぱい石がある時、その石の数を数えるとしたら、まずそれら河
原いっぱいにある物がみな石であるという認識が必要になる。その認識の次に、そ
のいっぱいある石を1つ、2つと数える事ができる訳だ。
ところがニーチェがいうように、石といっても実際は1つ1つ違う石で、同じ石など
1つもない。そうすると、同じものグループ=集合という認識が成り立たない。
”同じ”石などないのだから。

ニーチェは『人間的、あまりに人間的』の19項で
 『数。−数の法則の発見は、いくつか同じ物がある(しかし事実としては同じ物
  などない)、すくなくとも物がある(しかし「物」などない)という、もとも
  とすでに支配している誤謬に基づいてなされている。多数ということの承認に
  は、しばしば現れるなにかがある、ということがいつもすでに前提となってい
  る、しかしまさにここにこそすでに誤謬が支配している、すでにそのときわれ
  われは、ありもしない本質や単一性を仮構しているわけである。』
と書く。

数学は、量を扱う学問といわれる。現代では関係や構造を扱う学問といわれるよう
だ。どちらにしても数学は、あるもの”そのもの”には関心はなく、複数のもの同
士の関係、あるいはあるものの中にある緒要素の持つ構造などを扱う。逆にいえば、
あるもの一つ一つの質などは括弧に入れ、気にしないことで、複数あるものの間に
ある関係や関係の構造だけを明るみに出すのである。

つまり数学はあるもの(物、者)の質についてはなにも語れない。というか語るつ
もりもない。もちろんそれはそれで、多くの有用な認識をもたらすものであるのだが。。。
posted by 浅谷龍彦 at 04:04| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 思索(自由) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月20日

単純化、等置、有用性?

人は生きて行く中で経験した事を記憶し、次に同じような場面になった時には、前
の経験を知識として利用する。そしてそのような経験を繰り返し、知識を増やして
行く事で、より自己保存の確率を上げて行く。

ニーチェは『権力への意志』の515項で
 『「認識する」のではなく、図式化するのである、−私たちの実践的欲求を満た
  すにたるだけの規整や規格を混沌に課するのである。
  理性、論理、範疇が形成されるときには、欲求が、すなわち、「認識する」欲
  求ではなく、理解し算定しやすくすることを目的として、包摂し、図式化する
  欲求が、決定的となっていたのである・・・(類似なもの、同等なものへと調
  整し、案出するはたらき、−あらゆる感官印象が通過するのと同じ過程が、理
  性の発達である!)ここではたらいていたのは、先在的 な「イデア」ではなく、
  私たちが事物を粗雑にまた同等化してながめるときにのみ、事物は私たちにとっ
  て計算し取り扱いやすくなるという有用性である・・・』
としている。

人は複雑な自然を、その複雑さのまま理解する事はできない。そこで、ある一部分
だけを取り出して分析したり、逆に細部は省略して大きな全体を見てその統一性を
把握したりする事で、なにかを省略、単純化、簡略化する事で事物を”扱いやすく”
し、理解して行く。もちろん言葉を使って。
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タグ:ニーチェ
posted by 浅谷龍彦 at 16:18| 千葉 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 思索(自由) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月05日

Red Octopus ライブのお知らせ

急に決まったんですが、
7/11(土)に日野にあるライブハウス"Soul K"でライブやります!

Soul K↓
http://www.hinocatv.ne.jp/〜soulk/

出演時間はたぶん 19:00〜19:40 になるかと思います。
西東京に近い方や興味のある方、みなさん見に来て下さい!

★予定演目★
・My Sweet Baby
・愛はファシズム
・She Said "Good Bye"
・後悔
・Walk On The Wild Side
・愛と言う名の車に乗って
・I Want You

※今回はベリーダンスは付いてません。(笑
タグ:ROCK BAND live
posted by 浅谷龍彦 at 16:37| 千葉 霧| Comment(1) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月01日

乳癌について Vol.13

去年の6月からホルモン治療を続けている。もうすぐ1年になる。月1回の注射
もう1年、薬の服用はあと4年続ける事になる。治療自体に問題はない。順調だ
ろう。だが1つ問題がある。妻と現在の担当医の相性が悪い。(笑

最初の担当医は去年の7月に配置転換でいなくなり、その後は3人の先生による
当番制に変わった。それが今年の1月ぐらいに、今の担当医に落ち着いたような
のだが、この先生は、”まあ細かい事は気にせず、お任せください。”という
ようなタイプの人なのだが、妻は細かい所を1から10まで聞きたいタイプ。
合わない。(笑
妻に言われて、一度付き添って行って俺もこの先生に会ってみたが、”お任せく
ださい”という感じを出しているわりに、どこか人に安心感を与えない印象だっ
た。もちろん悪い人ではないのだろうが。

そこで妻は最初、担当医を今の先生から変えてもらえないか、この病院の相談員
というソーシャルワーカー的な人に相談したらしいのだが、他の先生も既に多く
の患者を抱えていて代われないという事だったようだ。そうなると次には転院す
るか?という事になるのだが、転院先の先生がまたどんな先生かわからない訳で、
まずはセカンドオピニオンで他の病院の先生も見てみようという事になった。
また今までやってきた治療が、他院の先生にはどう見えるのか、どう評価される
のか、ここで一度振り返るのもいい機会ではないのかとも考えた。

それで3月に担当医に招待状とレントゲン写真などの今までの治療資料を渡して
もらい、他院のセカンドオピニオン外来を受ける事にした。そして4月に予約が
取れ、セカンドオピニオンを受けた。
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posted by 浅谷龍彦 at 00:56| 千葉 雨| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月18日

I Wanna Set Me Free

英語ができないのに英語の歌を書いてみた。(笑
The Kinksに『Set Me Free』という曲があって、そこから
set me free というフレーズをパクって来たけど、その前に
I wanna とやっていいのか自信がない。
The Kinksの『Set Me Free』は、「私を自由にしてくれ」
という嘆願になってると思うが、それを I wanna set me free.
と、要求として使っていいのだろうか? 自信がない。。。

set me free というフレーズは、確かに Kinks から来てるん
だけど、歌の着想自体は別の所から来ている。それは前にこの
ブログでも紹介した事がある『EV.cafe』という村上龍と坂本
龍一がホストの鼎談をまとめた80年代の本の中で、柄谷行人を
ゲストに迎えた回での坂本龍一の次のような一言。
「つまり、人なんか支配したくないし、支配されたないってい
 うのが、とても強いね。」
この”人を支配したり支配されたくない”っていうフレーズが
ずっと気になっていて、このフレーズを盛り込んだ歌を作ろう
とずっと思っていた。

だが作りたいと思ってすぐ曲が作れる訳はない。(笑
しかしこのフレーズを英語にする事で、この曲にはめ込むがで
きた。英語のフレーズは yahoo の翻訳機能を使って作って、
その後それを浅輪ganpoe氏にチェックしてもらって、ようやく
完成した。

Thanks, Mr.ganpoe.

※残念ながらこの曲はまだちゃんと録音してないので音がなく、
 この歌詞がどういう曲にはまったのかがお伝えできない。
 残念。。。


Set Me Free
-------------------------------------------------
I wanna set me free.
I wanna loneliness.
I wanna set me free.
You never understand me.

I don't wanna govern anyone.
I don't wanna be your man.
I don't wanna be governed by anyone.

I wanna set me free.
I wanna loneliness.
I wanna set me free.
You never understand me.
You never understand me.
I never understand me.

-------------------------------------------------
posted by 浅谷龍彦 at 22:11| 千葉 | Comment(2) | TrackBack(0) | 歌詞・試聴(Red Octopus) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月27日

知覚の扉?

動物はみな自分の必要なものを見る目を持っている。いつも光の届かない土の中に
いるモグラは目が退化しているが、それはモグラが目を必要としてないからだろう。
人間には網膜に錘体細胞という細胞が3つあって赤、青、緑の三原色を感じ取るら
しい。猫には錘体細胞が青と緑の2つしかないようなので赤は知覚できない。
猫はもともと夜行性なので、その目は人間の1/6の光で物が見え、ものの動きに反
応する動体視力が発達している。暗いところで獲物を探す猫にとって色はあまり重
要な情報でないのだろう。それに対して鳥類は錘体細胞が4つあって色覚が発達し
ているらしい。空から小さい虫などを見つけるのに色が重要になるのかもしれない。

しかし錘体細胞はあくまで色を感じ取るだけの器官だ。人間が見る複雑な色は実は
錘体細胞で感じ取った色の情報を脳が合成しているもの。つまり色は物にあるので
はなく、脳が情報を元に作ったイメージに付けらたものなのだ。だから色が重要で
なければ、たとえ色を知覚はしても脳内で処理して合成したりしないかもしれない。
(すでにここに価値判断がある)

ちょっと前、去年の12月のニュースになるが、京都にある国際電気通信基礎技術研
究所という所で、脳の活動パターンからその脳が見ている=作っているイメージを
コンピュータで再現する事に成功した、というニュースが話題になった。つまり脳
がどうやって視覚情報を映像化するか、その作業手順がわかったという事だ。今は
まだアルファベット1文字を再現する事ぐらいしかできないようだが、この技術が
進めば、人が寝ている時に見ている夢を、外から見る事も可能になるという。この
事からもわかるように、人が見ているのは、外界そのものではなく、脳が加工編集
した映像だという事だ。だから目が見える状態でも、脳の映像化機能に障害が起こ
ると、たぶん物は見えなくなる。そうすると夢も見れなくなるのだろう。

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posted by 浅谷龍彦 at 23:40| 千葉 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 思索(自由) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月01日

チケットの追憶 Vol.1

写真は1985年、ブライアン・アダムスのコンサートのチケット。
武道館アリーナで3,900円という今では考えられない値段。
このコンサートは自分が最初に見に行ったコンサートで、当時高校2年、17歳にな
る直前の事だった。

もうだいぶ記憶がはっきりしなくなってきたが、このチケットは『チケットぴあ』
の特電予約で取ったものだ。ぴあの特電は土曜AM10:00からの予約開始で、当時
千葉の田舎の高校に通っていた俺は、たぶん授業の休み時間だったんだと思うが、
学校のすぐ下にあるパン屋(通称、下店)にある公衆電話に行き、そこから電話し
て予約をした。

チケットを予約するのはこれが初めてで、良くシステムも理解していなかったが、
とりあえず俺は、10時きっかりにかかるように電話のプッシュボタンを押した。
すると呼び出し音も鳴らずにいきなり電話が通じた。そんないきなり『チケット
ぴあ』に繋がるなんて思っていない俺は、どこかに間違って通じたと思ってとっさ
に電話を切ってしまった。ところが切るまでの一瞬、電話の向こうからは「はい、
チケットぴ」ぐらいまで女性の声が聞こえたのだ。
切った後に『チケットぴあ』に繋がった事がわかった俺は後悔したが、すぐにまた
電話をかけ直した。するとまた1、2分して電話が繋がった。今度は少し落ち着い
て電話の向こうの声を聞いて、『チケットぴあ』なのを確認、その後オペレーター
とやりとりして4人分のチケットを取った。

取れた後はたぶん、初のコンサートに興奮してたんだとは思うが、今はもうその感
触は記憶の中に残っていない。(笑
またその後実際にどうやってチケットを買ったのかも記憶にない。チケットにも
「チケットぴあ予約センター」としかないので、銀行振り込み→チケット郵送だっ
たのか? じぇんじぇん記憶なし!

8510_BAdams.jpg

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posted by 浅谷龍彦 at 01:25| 千葉 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 随筆(ロック) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月15日

Red Octopus ライブのお知らせ

今年最初のライブになります。
2009/3/14(土)、場所は大塚のWelcomeBack!というライブハウスです。
出演時間は17:00〜17:45。
最後の2曲ではベリーダンスとのコラボもあります。
お暇な方、興味のある方、みなさん見に来て下さい!

WelcomeBack!↓
http://www.welcomeback.jp/
posted by 浅谷龍彦 at 18:00| 千葉 曇り| Comment(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月20日

麻生と志位

今日、仕事から帰ってテレビチャンネルを回していたら、村上龍が司会の番組
『カンブリア宮殿』に共産党の志位委員長が出ていた。ちゃんと見てはいなかっ
たが1つだけ笑った点があった。それは村上龍から共産党のスローガンについて
聞かれた話の流れの中で出た次のような志位委員長の言葉だった。
「共産党が政権を取っても、すぐに共産主義に移行する事は考えてません。まず
 資本主義のままで出来る改革を行った後で、国民の合意を得てから共産主義に
 移行して行く事を考えております。」
だいたいこんな内容だった。

なぜこの話で笑ったかと言うと、直前にNHKニュースで麻生総理の次のような
国会での答弁映像を見ていたからだ。
麻生総理は消費税の引き上げ問題についてこう答弁していた。
「経済の回復を前提に、3年後に消費税の引き上げをお願いしたい。」

すぐにわかると思うが、この2人の言い方がまったく同じなのだ。
片方は、資本主義の改革後に共産主義に。。。
片方は、景気回復後に消費税を。。。

もちろん志位委員長は、もし万が一共産党が政権を取ったらすぐに「資本主義の
改革」を終えて共産主義に移行するだろうし、麻生総理も3年経ったら(まだ自
民党政権だったら)すぐに消費税を引き上げるだろう。

ポイントは、改革が終わって国民の合意を得る場合も、経済回復したという場合
も、その条件をクリアしたかどうか判断するのは、言った本人(あるいは後任者)
だという点だ。つまり彼らはハードルを飛び越えるつもりはなく、時期が来たら
ただハードルを片付けて通るだけだ。
posted by 浅谷龍彦 at 00:59| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月23日

その可能性の中心?

ところで、柄谷行人は自身の批評方法についてどう語っているだろう?
柄谷は『批評空間3-2号』にある「『トランスクリティーク』をめぐる共同討議」
の中で次のようにいう。
 『ぼくは批評家としてやってきて、よく人をけなしていますが(笑)、それ
  はたんなんる行きがかりであって、けなすために書く情熱はないんですよ。
  ひとのことをやっつけるために調べるくらいなら、寝ていたほうがましで
  す(笑)。そういうわけで、ぼくは徹底的にカントとマルクスを褒めまくっ
  ています。(中略)
  だから、「柄谷はそう言うけれど、マルクスはやはりこうじゃないか」と
  言われたら、「それはそうです」と言います、「しかし、そんな当たり前
  のことをいって、何か面白いんですか?」と(笑)。そのよなくだらない
  ことを書くのが批評だとは、ぼくは思わないわけです。』

これは方法的に「転移」する事を意味している。柄谷はこれまでマルクス、漱石、
フロイト、ウィトゲンシュタイン、カントなどを論じてきたが、柄谷はこれらの作
家、思想家達を彼自身の課題の意味を「知っているはずの主体」と見なしている。

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posted by 浅谷龍彦 at 21:11| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 思索(自由) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月14日

信じる者は救われる?

スポーツでもなんでも何かで成功をおさめた人が度々口にする言葉が「信じ
てました」とか「信じていれば夢はきっと叶います」というような言葉だ。
それに対して「そんな事は成功したから言えるんだ」と反論する者もいるだ
ろう。確かに、何かの実現を信じて努力した人の全てが、その夢を実現でき
る訳ではない。だが信じて努力しなければ成功しない事もまた事実だ。だか
ら正確には、「信じて努力した者の中の"誰か"が成功を掴む」事ができる、
と言う事になるだろう。そしてより確実なのが、信じ無ければ救われない、
という事だ。
それからテレビインタビュー等では「なぜ成功を信じ続けられたのでしょ
う?その理由は?」と言う質問が成功者に投げ掛けらる事があるが、その時
に「理由は無いけどなんとなく」とか「根拠は無いんですけど最初から自信
があった」等と言う答えが返される事もまた多い。これは嘘か?それとも何
かを隠しているのか?なぜ彼等、成功した者達は理由も無く信じられるのか?
しかしこの様な疑問は間違った問いである。何か理由があるからそれを信じ
ると言うのは、信じる度合い、信じる"深度"としてはまだ低い。本当に信じ
ているならば理由は不要なのだ!信じるための理由などもはや必要なくなっ
た時にこそ本当に信じているのだと言える。

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posted by 浅谷龍彦 at 22:57| 千葉 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 解体(心象) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月24日

法の起源?

ジジェクは法の正当性について『イデオロギーの嵩高な対象』の第1章(P62)で
 『このように、「抑圧」されているのは、法の曖昧な起源などではなく、法
  は真理としてではなく必然的なものとして受け入れられなければならない
  という事実、法の権威には真理は含まれていないという事実なのである。
  法の中には真理がある、と人びとに信じ込ませる必然的な構造的幻想は、
  転移のメカニズムをそっくりあらわしている。転移とは、法という愚かで
  外傷的で辻褄の合わない事実の背後には「真理」「意味」があるという仮
  定である。』
としている。

つまり法は正しいから受け入れられるのではなくて、受けられているから正しい、
という事らしい。これが「転移」の論理だ。一旦ある法律を受け入れた(転移した)
人にはその法律が正しく見えてくる。その人になんでその法律を受け入れるのか?
と聞いてみても無駄だ。その法律が正しいからだと答えるだろう。(笑)
受け入れた(転移した)人にその受け入れ過程を聞いても覚えてはいない。その過
程は「抑圧」されてしまっているから。その人にとってその法律の受け入れ過程は
謎であり、ブラックボックスになってしまう。つまり「国家状態」の中にいる人に
とっては「国家状態」が当たり前で、なぜ「国家状態」の中にいるのか?と改めて
聞かれても本人にはその理由が説明できない。

人がある法律を受け入れるという事は、その法律を施行した国家を受け入れるとい
う事であり、「国家状態」に入る事を意味する。ところでホッブスは国家の生成過
程について何といっていただろうか?

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posted by 浅谷龍彦 at 12:24| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 思索(自由) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月09日

スラヴォイ・ジジェクと柄谷行人?

柄谷行人は『探究1』で、「他者とのコミュニケーション」における「他者」の例
として子供外国人など自国語を理解しない人を挙げているが、その他にも精神に
異常があるとされる人などもその例に加えている。それはフロイトが始めた精神分
析が精神異常の人との対話を治療の手段としており、そこに「他者とのコミュニケー
ション」を見ているからだ。

フロイトの始めた精神分析は、分析の対象者、被分析者が連想する言葉の中から、
その人の心の構造を読み取っていってその問題の仕組みを明らかにしようとするも
のである。その分析過程で重要になるのが「感情転移」という状態を作る事にある。
「感情転移」とは、あるものに対する感情移入とか同一化、「思い入れ」を起こさ
せるような事をいい、要するにそれは被分析者に分析者を恋させる状況を作り出す
事をいっている。(疑似恋愛というのかな?)

フロイトがヒステリー、強迫的ノイローゼと呼び、日本では神経症などと呼ばれて
来た問題を抱える人達を分析するに当たって「感情転移」を利用するのは有効な手
段となっていた。ところがどうしても「感情転移」を起こせない人達がいて、フロ
イトはこの人達の前では精神分析が無力であると認めていた。そしてこの人達の病
名をナルシシズム的ノイローゼとしていた。日本では統合失調症といわれ、英語
はスキゾフレニアと呼ばれる病気の事である。

柄谷行人は、このスキゾフレニアとの対話−というよりは対話の失敗−に精神分析
の「他者」を見出して注目し、何度となく言及している。これに対して、スロベニ
ア(旧ユーゴスラビア)出身の思想家スラヴォイ・ジジェクは、「フロイトに還れ」
と主張したフランスのジャック・ラカンの思想を映画小説、あるいは政治情勢や
社会状況に適用して、そこにある精神構造を明きらかにして見せる思想家だが、し
かしその分析はほとんど、どこにどういう形で「感情転移」があり、それがどうやっ
て生成され破綻するかを説明しているようなものとだといっていい。なので僕が読
んだ範囲では、ジジェクはその著作の中でヒステリーや強迫的ノイローゼについて
頻繁に語るが、逆に精神分析の「他者」であるスキゾフレニアについてはほとんど
言及がない。

ジジェクにとって「感情転移」が分析の「鍵」だが、柄谷にとっては「感情転移」
は「共同体」の「徴」になる。
posted by 浅谷龍彦 at 20:40| 千葉 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 思索(自由) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月19日

「戦争」と「他者とのコミュニケーション」?

『探究2』のP237-P238で柄谷行人は、ルソーの『言語起源論』の次のような箇
所を引用している。
 『この野蛮の時代は黄金時代であった。というのは人びとが団結していたか
  らではなくて、離れていたからである。おのおのが万物の主人だと思って
  いたという。そうかもしれない。しかし誰も自分の手のとどくものしか知
  らなかったし、欲しがらなかった。彼の欲求は彼をその同胞に近づけない
  で、遠ざけるのであった。人びとは出会えば、お互いに相手を攻撃したと
  いってもよい。しかし彼等はめったに出会いはしなかった。いたるところ
  戦争状態が支配していたが、地上はすべて平和であった。』

この引用は、『探究2』P235での次の主張を説明するために引かれたものだ。
 『おそらく人間が本来共同体的であるということを疑った最初の思想家はル
  ソーであるといってよい。むろん、ホッブスのように「自然状態」から出
  発して、国家(共同体)の形成の必然を説いた者はいる。(中略)
  しかし、ルソーの場合、自然状態あるいは自然人は、共同体の自明性を疑
  うために提起されたのである。』

ここで柄谷は、ルソーのいう「自然状態」を「共同体」批判として読んでおり、柄
谷もまた「自然人」は互いに出会えば戦い、「戦争状態」にはなるが、そもそも
「自然人」はめったに出会う事はなく、分散して生きていたため「平和」だったと
いうルソーの認識を共有しているようだ。

そもそもコミュニケーション成立以前の人々は、当然1人1人バラバラで、コミュニ
ケーションが成立していないのだから意思の疎通もなにもない。さあこれからどう
やってコミュニケーションとろうか?という状況で、未だ敵か味方かの区別もない。
それをこれからどうやって識別していこうか、という段階だ。

ホッブスは「自然状態」について、『リヴァイアサン』の第13章(P210)で
 『《諸政治国家のそとには、各人の各人に対する戦争がつねに存在する》
  これによってあきらかなのは、人びとが、かれらのすべてを威圧しておく
  共通の権力なしに、生活しているときには、かれらは戦争とよばれる状態
  にあり、そういう戦争は、各人の各人に対する戦争である、ということで
  ある。』
としている。

だが、ここでいう「各人の各人に対する戦争」とは、まだコミュニケーションが確
立される以前に、人々が悪戦苦闘しながら最初のコミュニケーションを成立させて
いく過程を表しているのではないだろうかと、僕は今考えている。「戦争」といっ
てもまだ人々は1人1人バラバラの状態なのだから、今、普通にいう戦争というより
は、ほとんどケンカのような争いか、闘争といった方が近いだろうと思う。たぶん
ホッブスはここで、「国家状態」と「自然状態」の対比のために人を国家に見立て
て「戦争」という言葉を使ったのだろう。

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posted by 浅谷龍彦 at 19:59| 千葉 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 思索(自由) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月13日

乳癌について Vol.12

放射線治療は8月中旬に終わったが、治療後の経過を見るためか、月に1回ぐら
いのペースで放射線科の診察を受けなければならないようだ。放射線を当てられ
日焼けのような部分も、元に戻るまでには1年以上かかるらしい。
しかしまあ、後残る治療はホルモン療法だけになった。ホルモン療法は月に1回
の通院ですむので、放射線治療と比べるとだいぶ楽だ。ただ結局、放射線科の診
察とホルモン療法とでしばらくは月2回通院しなければならないのだが。

ホルモン療法はまず治療効果が期待できる体質かどうかが問題になる。治療効果
が期待できる体質とは、手術や針生検で採取した癌細胞の中に、エストロゲン受
容体かプロゲステロン受容体というホルモン受容体の量が一定量以上あった場合
の事をいうらしい。妻の場合は手術時に摘出した細胞が検査され、治療効果が期
待できる「ホルモン受容体陽性」の体質だという事がわかっていた。

治療内容としては、月1回のLH-RHアゴニスト製剤の注射と毎日2回の抗エストロ
ゲン剤の服用である。LH-RHアゴニスト製剤がエストロゲンの分泌を抑え、抗エ
ストロゲン剤が癌細胞とエストロゲンの結合を阻止するらしい。
治療期間は、LH-RHアゴニスト製剤の注射が約2年間、抗エストロゲン剤の服用
が約5年間で、まだまだ先の長い話である。

ホルモン療法の副作用は、ホルモン療法が女性ホルモンへの作用を目的とした治
療であるため、女性ホルモンのバランスが崩れた時に起こる体の変調と同じよう
な症状になるらしい。いわゆる更年期障害に似た症状が出るという事だ。どうい
う症状が出るかは個人差が大きく、妻の場合、今のところは、以前より喉が渇く
という事と生理が止まるという症状が出ている。生理が止まるのは注射を打って
いる2年間らしい。
posted by 浅谷龍彦 at 19:03| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月23日

乳癌について Vol.11

前回書き忘れたが、妻の話では白血球だけでなく肝臓にも影響が出ていたようだ。
やはり抗ガン剤治療は体に負担がかかる。それから6月に入った頃に、担当医が
異動になる事と、以降この病院では乳腺外来が担当医のない当番制に変わる事
が知らされていた。また診察日も月曜と木曜の週2日から木曜だけになると。
(この病院でも医師不足?)

結局抗ガン剤治療は6回目が中止になって、1月の終わりから6月の終わりまで約
4ヶ月間の治療で終わった。6回目の抗ガン剤治療の日、担当医からは抗ガン剤治
療は中止して、ホルモン療法にすると告げられ、妻は速攻ホルモン療法の注射
打たれたらしい。そして、それと同時に翌日の7月から放射線治療も開始すると
告げられた。(そんな話、事前にぜんぜんなかった(笑))

そして翌日から間髪入れず放射線治療が始まった。放射線治療は30回、毎日通っ
て治療を受ける必要があり、これまた大変だ。初日には放射線を当てるための目
印を胸や脇腹、腕に、なかなか消えないマーカーでマーキングされてから放射線
を当てられたようだ。マーキングで当てる場所を決める事が重要らしい。
夏の暑い時期だと腕や胸元に書かれたマークが見えて、女性にとっては見た目的
に気になるだろう。それほど目立つわけではないのだが。

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posted by 浅谷龍彦 at 01:44| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月09日

乳癌について Vol.10

最初の点滴が終わって家に帰ったが、やはり吐き気などの副作用が気掛かりだった。
しかし妻の場合よくいわれる副作用は出ず、代わりに眠気がひどくて何時間寝ても、
またすぐ寝るような事が何日かあった。最初の1週間は眠気以外の副作用はないよう
だった。

1週間経って、妻は血液の状態を見るために病院に行った。検査結果は特に異常無く、
また1週間後にチェックする事になった。(結局毎週病院に行かなければならないわけだ)
その次の検査でも特に異常はなく、2週間が経った。

そして最初の点滴から3週間が経って、2回目の点滴投与になった。また血液検査か
ら始まって、検査結果を確認し、治療可能かの判断後、点滴となる。
この頃になると徐々に髪の毛が抜け始めてきた。髪の毛を梳かしたり、洗ったりす
ると普段より抜ける髪の量が多くなってきたらしい。妻は、あらかじめいくつか帽
子を買っていたので、その帽子をかぶり病院に行くようになった。また免疫力も低
下してくるのでマスクもするようにしていた。

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posted by 浅谷龍彦 at 00:43| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(ぼやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする