ニーチェ
「語というものが、概念になるのはどのようにしてであるかと言えば、それは、
次のような過程を経ることによって、直ちにそうなるのである。
無数の多少とも類似した、つまり厳密に言えば決して同等ではないような、
すなわち全く不同の場合にも同時に当てはまるものでなければならないと
されることによってなのである。すべての概念は、等しからざるものを等置
することによって、発生するのである。」
マルクス
「人間がその労働生産物を相互に価値として関係させるのは、これらの事物が、
彼らにとって同種的な人間的労働の、単に物的な外皮であると考えられるか
らではない。逆である。彼らは、その各種の生産物を、相互に交換において
価値として等しいと置くことによって、そのちがった労働を、相互に人間労
働として等しいと置くのである。彼らはこのことを知らない。しかし、彼ら
はこれをなすのである。」
ウィトゲンシュタイン
「われわれば言語と呼ぶものすべてに共通な何かを述べる代わりに、わたくし
は、これらの現象のすべてに対して同じことばを適用しているからといって、
それらに共通なものなど何一つなく、これらの現象は互いに多くの異なった
しかたで類似しているのだ、と言っているのである。そして、この類似性な
いしこれらの類似性のために、われわれはこれらの現象すべてを「言語」と
よぶ。」
「われわれが提供しているのは、もともと人間の自然史に対する諸考察である
が、しかし好奇心をそそるような寄与なのではなくして、何人も疑わなかっ
たことの確認であり、常にわれわれの眼前にあるがゆえに注意されることの
なかったことの確認である。」
ここにあるのは、等置と等置によって生まれる同一性の中にあって、忘れられ
た恣意と不当を摘出する認識であり、これらの認識を繋ぎ混ぜ合わせたものが
柄谷行人の思考だと言える。
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